「奥の細道」松尾芭蕉は有名だけど「日本奥地紀行」を書いた作者を知っている人は少ないはず。2021年の初めにこの話を紹介しましょう。299回目の更新です。
大雪元旦。初日の出など拝めずにモノトーンの会津。静かな、静かな年明けでした。
300回を目前にしてこの4連休にどこか小さくても旅に出ようか…。
その足止めをさせたのが、下の3つの理由でした。
その① 大雪だなあ…これでは撮影場所が限られてしまうなあ
その② 何か不要不急の外出の自粛って呼びかけられているよな、どうしたものか
その③ ふーむ…やはり体が動かない。クルマの上の雪さえ下ろせられないかもな
だからこの4日間は自宅の中にずっと引き込んで作品創りに徹しました。
そんな中、題材として眠っていたテーマを呼び起こすことができ、実は私にとって
とてもラッキーなお正月だったのです。
今日のブログは、盛りだくさんで、とても長い内容です。
途中で皆さんが飽きないように工夫を凝らしましたが、これを見て疲れさせちゃったら
ごめんなさい。
でもね、300回を目前に299回目の記念として創り上げたものです。
昨年の春→夏→秋のアーカイブとして以前載せた光景であってもポーズの違う作品ばか
りです。そして元旦の雪景色の光景もお届けします。
このシーンと共に、イギリス人の女性探検家 "イザベル・バード" と連携してこの
ブログをスタートさせましょう。
どうか皆さま、一緒に会津に旅した気分になって下さったら、私はとても嬉しい!
まずは彼女のプロローグから
それは明治14年の時でした。
横浜港に到着し、伊藤と名乗る男性を通訳として雇い、東京→日光→田島(現南会津町)→
大内(現下郷町)→会津美里→会津坂下→野沢(現西会津)→新潟→山形→秋田→青森→北海道
馬に乗り、彼女はこうして東北日本海側ルートを探訪していったのです。
そして彼女が執筆した『日本奥地紀行』という本は、明治時代、まだ外国に知られてい
ない、日本の東北地方を知らしめたのです。
おっと、その前に元旦の日を少しだけ振り返りましょう。
我が町の雪景色って相当なものでして、
情けない男の姿、自分でも嫌ですねー
さて気を取り直して、イザベルと共に去年の春から旅のスタートです。
会津は、桃・梅・桜が同時に咲きます。伊豆では考えられなかった光景です。
そして更に春は優しく訪れ、
やがて新緑の季節を迎えます。
いわば緑の季節が…
森のイオンは私を元気にさせてくれて
さて夏となりました。イザベラさんもおそらく見たであろう日本海。
イギリスの海と違って見えたかもしれません。
でも凄いよね、彼女。だって年齢なんて感じないほどエネルギッシュだから。
自分の特性とか才能を、イザベラは知っていたんだね。
昨年の夏は自粛。行動が制限されていました。そして今も…。
新潟入りする前に、彼女は南会津の田島に寄りました。そこは "会津高原"
隣には"那須高原"が鎮座しています。彼女はこの山々にどんな思いを馳せていたのでし
ょうか…。
湿原も数々あります。そんな津川の湿原も訪れたかもしれません。
彼女は火山ルートを避けました。
磐梯山噴火は江戸時代。まだ傷跡が残っていて、安全を考慮したのかも。
疫病という存在は、生きとし生けるものとの長い闘いです。
秋になりました。世界も日本もまだコロナの収束すら見えていません。
イザベラがこの時に来日した日本国内も、実はある疫病が流行っていたのです。
季節の変わる時は、気候しかり、そして体の不調もあります。
荒れた天候の中、イザベルはビショビショになりながらも必死に馬の手綱を握っていた
に違いありません。
やがて雨雲が去り、透き通るほどの秋空が…
産業革命の発祥の地はイギリス。
そのイギリスは周知期間を経て、いよいよEUから離脱します。
今の祖国をイザベラはどう思っているのか…
世の中は一切不変なものなどありません。
常に変化し続けています。物も建造物も、そして人の心さえもが。
そして秋という季節を迎えます。これもまた変化なのですね。
秋…寂しく何ともやりきれない季節感
一体これは何から出てくる感情なのでしょう。
イザベラは山形に着いたとき、何を想い、何を感じていたのか。
私たちはいつも影を作り出しています。大人になるとそれに気付かないのです。
子供の時は無邪気に影を踏んでいた。
ところが "影" ではなくて、心に "陰"を作っています。同じ呼び方でもここに大きな
違いがあることを忘れてはいけません。
さて冬を迎えようとする晩秋。
寒々とした空気感の山間を、イザベラは歩んでいきます。
イザベラは西会津の野尻がたいそう気に入ったようです。
その美しき村の光景は車峠で宿泊するという喜びに繋がりました。眼下に見る美しい
光景とは、彼女の心の中に日本の風土と、ご自身の旅の褒美だということだったのかも
しれません。
そして72年の生涯を閉じました。
きっと満足のいく人生だったに違いありません。
2021年、元旦。
変装することなく、私は近くの森へ行きました。
白く積もった雪の大木の幹に、イザベラがいたような気がしました。
そしてこう言っていました。
ありがとう、140年後のあなた。こうして私を採り上げてくれて。
会津も日本も、そして世界中が幸せでありますように…
人の愛こそ、人が人を救います。
それは全ての分野で。
手を差し伸べること、与えること
それがやがてはあなたが与えられるのです。
大変長いブログを重ねてお詫びいたします。
さて2月になりますと、久しぶりのカノンちゃんとの共演。今からお会いできることを
楽しみに待ちながらも、皆さまのご健康を心よりお祈りしています。
それでは次の300回目の更新まで ごきげんよう メイ♪
ええ! 南極大陸で36人のコロナ感染…!? 世界制覇を企むなんてことはないんだろうけどウィルスってとても怖い存在だ。298目の更新はいろんな想いを込めて…。
「今年の年末年始は静かな暮らしを」こんな時代が過去にあったのでしょうか。地球上で人間が常にトップであるという驕りは捨て去るべき。
久しぶりのブログ更新です。
世の中、だんだんと悪くなってきていますよね。
それも新型コロナウィルスがマイナーチェンジして突然変異として、また私たちを
襲ってきています。
最近のニュース報道のトップはテレビ・新聞共にネガティブなものを呼び出していて
人々に不安をあおり立てています。
もちろん注意喚起以上の「命を守る、誰の命も」という報道の使命をも持ち合わせて
いますので、私は常に中立的に判断しています。
だから俗世間を離れるという訳ではありませんが、自然環境の中に身を置いてみたり
するものです。
今日のテーマは
「続・心の旅」
以前扱った続編です。GoToトラベルやGoToイートという国の施策も、むなしく散ろう
としています。いろいろなことを模索して、そして実践してみる。
結果は後からついてくるもの。今回はコロナウィルスの圧勝なのかもしれません。
感情を持たないモノに人間は負けています。
それでもワクチン開発の研究に怠ることなく、遂には次期アメリカ大統領バイゼン氏も
テレビの生中継で、そのワクチンを注射している映像を発信しました。
ウィルスは鳥インフルエンザしかり、豚コレラなど動植物にとっては強敵の存在です。
自然界では自然治癒の力を持って治そうとします。
人間はその病原体を、化学(化学)の力を使って退治しようとします。
またある人は、神や仏の力を信じ、信仰から救いの手を伸べようとします。
何を信じる、信じないはご自身の自由の選択肢であり、それを卑下したり中傷したりし
てはいけません。そういうことを重ねると、その人にはそれに見合った大きな報いが訪
れることでしょう。
人徳とは、すなわち "愛" そのものです。
序章はこれくらいにして、本題に入っていきましょう。
「心の旅」
今回は鉄道をモチーフにして、旅の憧れをウォッチしてみました。
"他県への出入り自粛から禁止へ"
とても恐ろしい内容ですよね。これが全国緊急事態宣言だったのを覚えていますか。
今はその当時よりもっと深く重い状態になっています。
医療機関では医師・看護師さんはじめ、関係する方々の疲労が蓄積しています。
せめてこのブログで鉄道旅に夢を抱いてくれたのなら、私は本当に嬉しい!
「メイさん、ダメだよ。身体を休めてよ」
看護師さんのその言葉は、いろんな意味で胸に沁みています。
そういえば、地元の野沢駅を皆さまにご紹介していなかったっけ。
と、いう訳で日曜日は駅構内はお休みなので、少しだけお邪魔しました。
今、我が町は雪景色。
このラッセル車の出番です。活躍しまくっています。
会津盆地を突っ切り、喜多方を通り過ぎると、山都(やまと)から山間に入っていきま
す。その渓谷は時に、嵐や吹雪で運休となるほど険しい場所を通過します。
土・日・祝日は "SL磐越物語号" が発車します。
私は地元の野沢駅で、至近距離でしばらくその勇姿を拝むことができました。
実はこの蒸気機関車のすぐ近くで撮影することが許されることを知って、次回はプラッ
トホーム下の通路から自撮りしようかと密かに思っています。
迫力ある大車輪をバックに、ぜひその生きている機関車を観てくださいね。
そこは今も越後街道の様相が残っている地域でもあります。
もちろん江戸時代の建物は残っていませんが、その雰囲気は相当なものです。
士農工商…身分の差があった時代
それでも人はそれなりに生きていた
新潟平野までは68km地点。その線路の近くに、奥川へ続く県道があります。
これを抜けると徳沢駅に着きます。
磐越西線は "銚子の口"という(徳利の銚子の口みたいに川幅が一挙に狭くなる)景勝沿
いに線路を走らせています。
そこはプロ・アマの写真家が集う踏切。SLの醍醐味をシャッターに収めるスポット。
心の旅
それは自分が気に入って何度も足を運べる場所
心が落ち着き癒される場所
感動を覚え涙する場所であったならば、最高の自分の旅のステージの場なのです。
さて「心の旅」第2ステージはJR磐越西線を離れて、メイではなく、メグミがご案内い
たします。
途中、日本一のコシヒカリ産地、魚沼を通過します。
今は残念ながら数年前の集中豪雨によって、鉄道は途中寸断しています。
現在はその復旧工事をしています。全線開通までは、あとわずかな年月。
それまで私は生きていたいと願うばかりでして、
何も遠くまで行くことを、旅行とはいわないよ
そんな声がします。
近くに素晴らしい宝の場所が眠っているのですね。
彼らはそれを見つけてほしいと言っています。
心の旅は、すぐ手元にある。
自宅でガマン、ガマン…。
そんな声がいつも聞こえます。会津若松の七日町通りの店先で、日新町のマンション
で、八日町や城北町の住宅の玄関先で。
そして我が町でも…。
まとめ
昭和生まれの私は、こうした激動の時代を乗り越えてきました。
そして令和のこの時代にコロナショック。
時代は常に動いています。
ほんのささやかな家庭でさえもが、子供が成長していくように常に変化しています。
生まれては消え、また新しきものが生まれる。
欲していたものを手に入れ、やがてはそれを手放したり捨てたりする。
モノもお金も人も、自分に関わる全てが流動しています。
失うものの怖さとは、自分で引き寄せていると思ってください。
それは苦しいほどのネガティブな心の在り方が、そうさせているのです。
一人三役の私もだいぶ板についてきた感があります。
こうして作品を創り上げるのに、ほんの僅かな休日を使います。
普段は背中の強烈な痛みを抱えながら仕事をしています。
稼働しないと生活が成り立ちませんので、仕方ありません。
ただ疲労の蓄積が、元来免疫力の弱い私にどう直撃するのか…?
それは心配していません。
何故ならば "なったら、なったでいいや"
受け入れることの寛大さを持っているからですね。
私の心の小さな旅は、こうしてデスクに向かってコーヒーをいただきながら
本来の私に戻って作家になっていることです。
だから疲れを知らないし、楽しいものなんですね。
皆さまのそれぞれの才能や特性を生かして大いに人生をエンジョイしてください。
心の旅とは、あなたの心が躍るときを指します。
最後に、とても綺麗な会津の夕日でお別れしましょう。
カメラ片手に、次の撮影日をきめなければ…と思いつつも一日中眠っちゃう休日。
ああ、これではいけないな
どうか皆さま、くれぐれもお体に気を付けてくださいね。
私のこのブログももうすぐ300回更新。頑張って毎日を送ります。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪
「ああ、これが一炊の夢だったら…」今の現実が夢なのか? それとも心の中が夢であるのか…表裏一体の夢世界にご案内。297回目の更新です。
人類の危機というのは今に始まったことではありません。今を生きている世界中の人々がただ一緒にその歴史上にいるだけのことです。
何か徐々に悪化の急速が目立ちます。それは感染人数もそうなのですが、経済の悪化で
すとか、失業率の値も高くなっています。
コロナウィルスは世界の経済の崩壊とはいかないまでも、そんなところにまで手を伸ば
しているような気もします。
季節は冬を迎え、自然界はこうして変化を遂げていきます。人類もそれに習い常に変化
に対して寛大な心を持たねばなりません。
今日のブログのロケ場所は、私の住む西会津町オンリーでストーリーを進めていきまし
ょう。「日本の田舎」と最近そんなキャッチフレーズを付けて内外にPRしています。
さて今回のテーマは
「睡眠中の夢」
目覚めて起きている時には明日への希望ですとか、将来の夢みたいなことを思ったり
しますよね。ところが寝ている間に夢を見るということに普段人は深くそこに着眼点を
おいたりはません。
よく書店やある宗教団体が発行する「夢判断」なるものの書籍を目にすることがありま
す。その内容は決して悪いものでもなく、また良いものなのかという判断がつきませ
ん。占いのようでもあり実証に基づいたものかどうかも分かりません。
私は処女作「メイとコーヒーとニャンコたち」の出版し電子書籍とペーパー本をこの世
に出しました。
以前に申し上げましたように96.000文字の大作です。実は一ヶ月で完成したのです。
何故それができたかと申しますと、睡眠中の夢の中で原稿を書いていたのですね。
そして深夜であろうが、未明であろうが、早朝であろうがすぐさま夢の中で綴っていた
文章をキーボードでパソコンに打ち込んでいた結果であったという訳です。
実践とは億劫がらずに直ちに行うこと
日頃の嫌な経験や出来事、苦い思い出を人は捨て去ろうとします。
普段は新たな経験が多く訪れてそうした過去のものが消えていくと感じます。
起きて活動している最中に、ふとそんなネガティブなことを思い出すときもあります。
それは不安と心配と苦しみという渦中に自分の心は縛りつけられ息苦しさを覚えます。
「もう忘れてしまえ」という覚悟で日々を送っているのは誰もが同じこと。
ところがこれが厄介なことになり、" 無意識層"の中に蓄えられてきます。
悩み続けたり、疲労した日の睡眠中にそうした過去の出来事が、音響のアンプが音を
増幅するように大袈裟な夢となって枕元で再び我が身を苦しめます。
人生の選択肢は突如として決断を強いられることがあります。
それは昼間に活動している最中もそうですが、睡眠時の夢の中でも指針される場合も
あります。次の作品は実際に夢で見た光景そのものの場所があったなんて、私も信じら
れませんでした。
心の負の遺産は誰にでもあります。
それは過去生から引き継いだもの、そして現世で自ら作ってしまったもの。
それは誰にも言う必要はありません。
自分の業(カルマ)は自分でこの世で解決しなければならないのですから。
解決できなければまた生まれ変わって、それに向き合わなければなりません。
そういった意味でも睡眠中の夢は、解決のための何らかのヒントを与えてくれることも
あります。
人の営みは "調和とバランス" がとても大切です。
調子づいたり有頂天になったり、自分の器以上のことをすると、睡眠中の夢は
「ストップ!」とブレーキをかけます。
またネガティブなことから逃れ、何の解決もしない場合は、その出来事を鮮やかな
夢として再現もします。"いち早く解決せよ" というメッセージです。
経験…
それは過去と今。
やがて未来へと繋がる。
だったら明るい未来を願望したいのなら、今を一生懸命生きるしかないのだ。
過去は絶対に戻らないことを私は知っています。
『バシャール』という書籍の中に、こんな一文がありました。
夢は、人生に起こっている意味を日々伝えてくれます。
また夢には自分を深く知るために、私たちの内奥にある叡智の源を開くドアも用意され
ているのです。
あなたがそのドアを開けさえすれば、問題を解く方法や、高い教えを見つけることが
できるでしょう。
人生は敷かれたレールのように、過去→現在→未来へと進む法則で進んでいます。
短い一生という運命を持つ人もいます。
ですが自分は長生きできるとしたら、私たちは特急に乗り込んで早くして命を落として
はなりません。各駅停車の鈍行でいいのです。
いろんな駅で立ち止まり、多種の見聞を広め、そして意識レベルの高い人間となること
です。それは誰にでもできます。意識の改革さえできれば…。
こんなタイトルの映画があったような気がします。私はその表題からして怖いので観て
いませんが、今世界中の人類が新たな脅威と闘っていますよね。
誰もいなくなるなんて想像すらつきません。
何故なら人間は多くの病原体から克服するという高度な知恵を持っているのですから。
まとめ
睡眠中の夢とは、私たちが肉体に捉われることのない次元を超えた存在であることを
教えてくれています。
夢は、心の奥にある高次の自分(ハイアーセルフ)から私たちに届けられるような手紙の
ようなものです。
夢を軽視してはなりません。
しかし朝起きてすっかり忘れてしまう夢については何も心配することはありません。
重要視するのは、いつまでも記憶が消えない夢の光景です。
これは何かをあなたに向けているメッセージなのです。
過去の出来事は、時として自らが再体験することもあるのです。
再び旅行や飲食を控えるという大都市の自粛は、そこに住む人たちの精神を圧迫しつつ
あります。ワクチン接種にはまだしばらく時間がかかるようですし、何よりも観光・飲
食関連の業種は大きな痛手。
目に見えない今までたった一つのウィルスがこうして増殖して世界を脅かしています。
今、人は睡眠中にみる以外の夢などないのかもしれません。
でも絶対に希望を捨ててはなりません。
顕在意識での夢こそ、"それを実現してみるぞ" という強い信念を飽くことなく持ち続け
ることです。
西会津の風景はまさしく町が売り出した "日本の田舎" そのものです。
コロナ感染もなく、人々は明るく元気で健康を保とうと、町民一丸となって頑張って
います。これもリーダーシップと町の人をサポートする役場の皆さまのおかげです。
どうか世界中の皆さま、毎日の心と体の健康に気を配って、ご自身をお守りください
ね。遠く会津より心よりお祈りしています。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪
GoToトラベルの見直し。政策の失敗なのか…。いいえ違います。やることをやってからその結果を正していく。何事も挑戦しなければならないな。296回目の更新です。
3連休どころか仕事のない人はずっと休み続け、そして心は苦しみ嘆いている。この世の非常なものがたくさんあることを知ります。
日本は今、毎日2.000人を越すというコロナウィルスの感染。
新薬が早急に認められたり、また人々の我慢と英知によってこの危機を脱却しようと
世界中の人々の毎日が切磋琢磨の日々。
忍耐という言葉は決してポジティブではなく、制約という影の力がうごめいています。
そんな日々の中でも、少しでもいいから自分を発散できる場所があれば…。
だから私はここを選びました。
今日のテーマ
「変化に気付く」
地球上のあらゆる情勢は常に変化しています。宇宙空間を見ても星々が衝突して大爆発
をします。オリオン座の馬頭星雲はようやく1500年経った今になって地球にその光が届
いています。
仏陀の教え "三法印" の中の『諸行無常』は、この世は常に変化している意味を表しま
す。普遍的なものなど一切ないのです。
私は建築設計事務所を25年間続けることができました。そして停年退職などありません
から、"一生、建築家として身を捧げる" という決意さえあったのです。
ところがリーマンショックの煽りを受けてこれ以上の事業は無理と断念。
そして教育界へと変貌を遂げました。
そのときも同じように "この身を教育に一生捧げる"
それが東日本大震災でその夢も途切れました。
「何も静岡で学習塾をそのまま開いていればいいのに」
そんな声を背中で聞きながら単身(猫たちを同行させて)見知らぬ福島へと旅立ったので
す。これも変化という名の出来事なのですね。
住めば都
郷に入っては郷に従え
その土地に慣れるというのは最初からそう簡単にはいきません。
まず親戚縁者はいない訳ですから、全てを自分で構築する覚悟がないと…。
変化とは心の変化から始まります。
人と人とのお付き合いは、我が心を開くことからスタートします。
何事も焦りは禁物です。
そしてあれもこれもといろんなことに手をつけてしまい、結果的には何もできなかった
ってことはザラにあります。
「良い変わり方をしたいなあ。でもできないんだよね」
そういうときは一度原点に戻りましょう。それもゆっくりとした思考と共に。
タイミングは向こうからやってはきません。日々自分が何かを追い求め続けたときに
思わぬ所や、思わぬ時間でやってきます。
変化するということを知っていると "時期を待つ" という寛大な心になっていきます。
日本は今、自然災害とは違い、人災すなわちコロナ禍の真っ只中にいます。
世界中も同じ。人類の大危機とはいかないまでも、その病気にかかることや、明日の仕
事さえ保証がない。強いていうと "あしたの食べ物があるのか…"
少しだけシリアスな言葉を綴ってしまいました。
ここからは明るくユーモラスに「変化」について伝えていきましょうね。
心の領域が広がると、自然界に目を向けることができます。
人の密集しない場所というのは、あなたのすぐ近くにあります。
そしてそこで小さくとも感動を覚える、気づく。そんな精神鍛錬も「変化」というもの
に柔軟に対応できるのです。
またさりげないこんな国道であったりしても、ちょっとした発見があったりして、
時間が経ちますと、周りの景色もすっかりと変わっていきます。
同時にさっきの私の思考は。その時間と心の動きによって変化していきます。
心が広がっていきますと、身近にある何の変哲もないものへの疑問などが沸いたりして
まとめ
「変化とは常にリアルタイムで起こっている」
目で見る現社会もそうですし、人の心の動きも同じです。
人は特に視覚・聴覚に敏感で現に起きていることに戸惑いを覚えたり迷ったりします。
真の生きる意義とは、そうしたものに惑わされるものではなく自分自身の在り方を
問われるものかと…。
自分で何もかもを引き寄せていることを知ってください。
その時のあなたの心や行動や話す言葉に似たものを引き寄せてしまうのです。
本当の世界とは、自分の心の中にあります。
今目で見ている、聞いている社会の騒音はあなたにとって関係のないことです。
私はこうして数々の写真作品を創るにあたり、メイとメグミに変装するとき本当に
彼女たちのキャラクターに変化をつけています。
決してどちらとも美人ではありませんが、私と同年代のメイとして、年下のメグミとし
ての棲み分けに工夫を凝らしています。
実例をこうして皆さまにお伝えできることが唯一の証でもあるのかなと。
これが「実証」というものですね。
秋は終わりました。
今年の冬の訪れは私たちの暮らしにどんな変化をもたらしてくれるのでしょうか。
「劇的な変化」とは「安心で安全、そして平穏な個人でいられること」
その小さなことが世界中の人々を救うのです。
コロナ危機、明日の我が身に降りかかるかもしれません。
十分にご注意なさってくださいね。
油断大敵 お忘れなきように
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪
「やや! どうしたんだ今」訪問先の夜の玄関でつまづき再び大転倒。ようやく背中の痛みが治りつつあるというのに…295回目の更新です。
ホント、歳には勝てなくなりました。今までのような220km程の旅さえもできずに秋を迎え…でもね、大丈夫。心の持ち方次第で小さな旅でさえも大きな喜びになるのです。
すっかりと冷え込んでもうじき初雪が降るでしょう。スタッドレスタイヤに交換して、
クルマも冬支度完了。そして私も冬に備えて気分をチェンジ。
そんな中で起きる大小の怪我は日常茶飯事。大切にしなくちゃね、自分の体を。
今日のテーマは
「耐え抜くこと」
人生80年。
これは長いのか、短いのかと問われますと私は本当に短いものだなと感じています。
私たちは人間としてこの世に生まれました。
だが "この世"とは私は現実の世界と捉えていません。虚像空間あるいは偶像空間と
申し上げていいかと思います。
各駅停車の列車に乗り込んで、名もなき駅に佇んでいる。
この瞬間が今の人生なのではないのかと…。
私たちの体に宿る魂は、この世に必要な人間だから今を生きています。
そして魂の修業が終わったときに命が同時に絶ちます。しかし魂は生きていて次の時空
へと旅立ちます。
それは生まれ変わりかもしれませんし、「無」の中に永遠と入るかもしれません。
耐え抜くということはとても苦しいことです。
個人の自由が束縛されたり、欲求さえもが阻害されます。
特に今の世界の状況は、そうした忍耐そのものの現象が顕著に写し出されている訳です
ね。 仕事がない、お金もない、夜の自由がない、暮らしが窮屈だ…。
苦悩しているときは心の領域も狭くなってしまいます。
季節感など微塵も感じることなく、明日の我が身の在り方を心配します。
そしてその感情はどんどんネガティブなことへと膨張してしまいます。
そういうことを未然に防ぐには、やはり気分転換が大事。
それは何でもいいんです。自分の好きなこと、興味あることを再発見すれば良いので
すから、思う存分にエンジョイすることです。
秋のストリートは到る所で美しい紅葉が見られます。
きっと山では更に鮮やかで色とりどりの林が見受けられることでしょう。
「耐え抜く」
自然界に目を移してみてください。彼らは文句ひとつ言わずに四季の変化に合わせて
います。人間だけが不平不満を口にします。
「あの人がこう言った」
「この国のリーダーのせいで俺はこうなってしまった」
「あいつ、感染したんだってなあ。気を付けろよ」
いろんな言葉が世界中で飛び交わっています。
耐え抜く心得を知っている人々はそうしたことは言いません。無言で耐えます。
それよりも、更に心の幸福を求めて前向きに進んでいます。
「もうここから下は底はないのだから、上に登れば良いだけの話だ」
心がそういう状態になりますと、自然と大らかに、そして穏やかになっていきます。
先ほど述べた自然界のありさま。
例え人工林であっても、しっかりと根を張り生きています。
人もそうあってほしい…。
風雪に耐える動植物のように、ちっちゃなことにクヨクヨしないで堂々と生き抜いて
ほしい。
私は静岡にいた頃よりも会津に来て、いろんなことを経験しています。
仕事も暮らしも決して楽ではありませんが、その一人暮らしを十分に工夫しています。
やはりこうして作品集の数々を創り上げるのはこの上ない喜びですが、その影には
かつて愛猫たちとの生き別れや死を体験した悲しいものもあります。
それがただ悲しさではなくて、その子たちの魂が休まるようにと物語にしています。
それが私の心も休まるとき。そして何よりも悲しみから耐え抜くことの一つでもあるの
です。 "命あるもの、必ずその命は途絶える"
耐え抜く先には、あなたの希望が待ち受けています。
血潮みなぎる日が訪れ、豊かさが戻ってきます。そんな夢の日が待っているのです。
総論
耐え抜くというのは自分自身の力で行うこと
もちろん他の方の援助も必要な場面もあります。その人の言葉によって救われることも
あるでしょう。
しかし序盤から甘えの心がありますと絶対に "幸福だ"という精神には達しません。
耐え抜くことには限度はまったくないことを知ってください。
次から次へと難題が押し寄せてくるからです。でもそれはその人を成長させるためのも
の。たがらひるむことなくその難題に向かっていく努力が必要です。
人々は古来から事故・事件・災害などに巻き込まれました。
その度に人は成長してきました。そして今があるのです。
歴史街道のこんなモニュメントさえもが、そうした人間模様を見届けています。
歴史は常に「新しい生活様式」を伝えています。
大きな出来事はやはり明治維新でしょう。サムライを捨て去った江戸時代は西洋の文化
を取り入れ、それらを模倣してきました。
そして今また新たなライフスタイルとなりました。
しかしマスク姿の人々が世界中から消え去る日もそう遠くはないでしょう。
私の提唱する「スローライフの薦め」は、今この時こそ有意義に心に沁みることでは
ないのかと胸の中で考えています。
第3波の感染が叫ばれている中、どうか皆さまご無事・安全でいてくださいね。
自分の人生の夢途中で最悪の結果、命を落とすことはとても悲しいことですから。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪
痛みは背中から胸へと…「う~ん、後ろと前ねえ。一対なのに同じなの?」そんなことを考える294回目の更新です。
街中の家々に何やらぼんぼりが。でも今年の秋は例年と違う。秋祭り? そう、皆は催事ではなく心の中で祝い、そして来年の豊穣を祈るのです。
まだまだ痛みとの闘いは、日頃の私を疲労の極致へと向かわせます。
だから今日はおとなしく家に引き籠り。そしてこのブログ作品に徹していましたが、
余りの激痛は、我が身を町内の温泉へと駈け込ませました。
少しだけ痛みが和らいできたので、先週の水曜日の光景からスタートです。
この時も体は悲鳴を上げていましたが、どうしてもメイスタイルで外に出たい訳でし
て、近くの山に入っていきました。
日頃は通勤も併せて若松市の街中を130kmも走り抜けます。だから疲れてしまうのは
当然といえば当然。休日は休みたいなという思いと、「やはり旅に出たい」という反対
の心の葛藤が続くのですね。
仕事中のお昼休みには「ああ、あそこへ行ってみたいな」だとか、次のファッションの
アイテムをどう着こなすとか、まあいろいろ考えるのですが、何しろ体が言うことを聞
きません。
「うーん…この痛みが治まってくれればなあ」
今日のテーマは
「一対なるもの、本当は同じもの」
背中の痛みが何故、前の部分の胸にも到達するのか?
この疑問が今回のテーマのきっかけとなりました。
「左向いて、右向いて。次は右向いて」
「赤上げて。青上げて。次は赤上げて」
こんな楽しい遊びがありますよね。
真逆のものを瞬間的にえり分ける楽しさがありますが、人というのはどうもそういうも
のが苦手なところもありまして、正しい判断に困ってしまう場合もあります。
冷静になれば後から「なーんだ、こうすれば良かったじゃないか」
でも「時、既に遅し」
判断した過去はもう戻ってはきません。ですから今から絶対にミスをしないぞと自分で
ジャッジすべきかと…、
秋という季節は、昨日のハロウィンのように楽しい催事がある反対に、陽が短くなり、
ひとしお寂しさや侘しさ、そして人肌恋しい、つまり孤独感にさい悩まされることだっ
て少なくありません。
善と悪
良心と悪心
欲心と無欲
などなど…
人の暮らしはこのように、逆の立場がいつでも180°変えることができます。
秋、私にとっては思慮深い季節。
この一対の中で、私が一番に意識しているのが
「光と影」
影は光がなければできませんよね。影自体が存在する訳がありません。
これは自然現象なのですが、心の中の影というのはまったく違う心理の世界。
自分自身でつくってしまうのです。
光と影は全てのものを魅力的に映します。
また心の中にも変化が現れてきます。
それはあなたの目で見た光景が、ご自身のフィーリングに合致したかどうかによりま
す。瞬間にそこに心の中に光、若しくは影を作り出すのです。
外の世界の光と影は、微妙にあなたの心を揺らします。
総論
一対なるもの、すなわち正反対だとおもっていたものは自分の心で決まるものです。
同じだと思えば同じだし、まったく逆だと思えばそうかもしれない。
まごころというもの真心と書きます。
真の心で物事を見抜いてください。きっとその中に正しい答えがあるでしょう。
私は一人森を歩いて、ふと飼い猫たちを思い出しました。
「こんな風にみんなで天国にいるのかな?」
あなたの思考によって体はアクションしていきます。
そこには良いも悪いもありませんし、光と影という真逆すらない瞬間が待ち受けていま
す。後から振り返ったときに、反省や次のための技法つまり成長の糧があるのですね。
最後に以前ブログに載せましたポートレートでお別れです。やはり当時も光というもの
を焦点に当てていたことを思い出します。
寒くなりました。
コロナと同時にインフルエンザも心配です。
疲れ切ってしまっている体には耐えられるだけの免疫力があるかどうか…
みなさま十分にお気をつけて毎日をお過ごしくださいね。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪
病院や処方薬に頼らずとも"自然治癒"の力もあることを信じて奥会津へと。293回目の更新です。
大転倒した痛みはまだまだ残りながらも、小さな旅は私の精神を治癒してくれる。だが体の痛みはそうはいかないことに気付きます。
日々の忙しさを理由に、ブログ更新の遅延の言い訳をしてはなりません。ただ仕事と家
事と健康を同時に維持していく難しさを知ります。
そんな中で、秋の西日が傾く頃の公園でのひとときは、私の心を開放させてくれて…
これが今回のテーマ
「心の治癒」
市販の薬でいいじゃないか
ちゃんと病院へ行けよ
そんな声が聞こえそうです。
確かに身体に関わる症状は、外科・内科共に受診を受けることは正しい選択。
もちろん精神科医の助言を受けることも大切。
ですが自助努力というものをもっと活用すべきであり、他力本願だけでは自分の
幸福度は低いものとなってしまいます。
今日は少しばかりミステリアスな光景を交えて、このブログを進めてまいりましょう。
私の精神の治癒は、こうして旅に出ること。
そしてインスピレーションで感じた光景を映像に収め、それに文章を重ねていくという
作家としてのポリシーが今の私を維持しています。
処女作「メイとコーヒーとニャンコたち」
ここに登場する猫たちとの命の出会いと別れは、私の暮らしてきた日々を綴った96.000
文字の大作となりました。
主人公の伊集院メイを創り上げ、彼女の周りで起きる数々の出来事は、この小説を離れ
今もブログでその存在を知らしめている訳です。
大転倒して大きな痛みを抱えた私は、短文ではありますが、この小説の続編の一部を
書き上げました。
人はそれぞれに違った趣や楽しみ方がありますよね。
自然治癒は、そうしたポジティブなものとの出会いによってまずは心が、そして次に
心の上の "精神"さえも治してくれます。
たたネガティブなものは治癒してくれません。
平らなるもの、すなわち平穏は心の病を救う手だてとなるでしょう。
また日常生活の中に、変化を見出すものと遭遇するなんてことも良いでしょう。
"非日常的" と申しましょうか…テーマパークに行かずとも、そういう奇異な所は、貴方
のすぐ近くに存在しています。
そこはお気に入りの場所となり、訪れる度に心の病が和らいでくるかもしれません。
最近の私の仕事は、会津若松市内の七日町・日新町という相当賑やかな場所にいます。
西七日町・八日町辺りは静かでホッとします。
週に5日、自宅から30km離れたその都会のど真ん中に身を浸しています。
だからこんな具合の風景は、
私の心を鎮めさせてくれています。
また懐古主義というのではなく、伝統という文化や光景に巡り会うのも、これまた良し
総論
「心の自然治癒」とは、自分で発見しそして実践すること
誰かを頼りにするのではなく、また遠き旅へと行くことでもありません。
自宅の中でもよし、山や海や川など出掛けたり、また想像するだけでも、心の扉が
開かれるのです。
スピリチュアルなことでも、瞑想や座禅などでも十分にその力は発揮されます。
すなわち、自分のしたいことを本当に心から願い、そして億劫がらないことです。
私は街中で見かける女性、そしていろいろな場所で女性と挨拶を交わします。仕事では
ありますが、そういう出会いを私は心から感謝しています。
いろんなタイプの女性から受ける刺激は、私の今後の作品づくりに大いに役立つと考え
ているからですね。
私も歳を重ねました。そして体重も46㎏、痩せましたし、写真を見てやつれた表情に
時々がっかりしたりします。
そろそろ潮時かなあ…メイとメグミの恰好。 そんなことをふと思ったり…。
この二人のイメージにピッタリの女性の方がいらっしゃいましたならば、喜んでお譲り
いたしましょう。このブログのモデルになってくだされば…。
心の治癒は、こだわりや偏見を捨て去ることも必要かと。
次々にやってくる経験を柔軟に受け止める姿勢こそ、本当の心身の治癒と私は考えて
います。
今日の最後のポートレートは午後の秋の日差しを浴びて、元気を取り戻す私の姿です。
朝夕の寒さがやせ細っている我が身に堪える時期となってきました。
皆様方もどうか、くれぐれも毎日を大切にお暮らしくださいね。
そして思わぬ不慮の災難に巻き込まれませんように、私は祈っております。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪