更新45回目。回を重ねるごとに思うのは、ブログの熟成以上に私の心が熟成しつつあると気付いていることです。
生きる…それは自分の命に対して責任をもつこと
昨日は月一回の通院。
低体温症が改善しつつあります。
この症状で最も危険なことは、風邪などが移りやすいということです。
いわゆる、体温が低いがために体の抵抗力が弱っているということですね。
今年の冬は、全国で220万人がインフルエンザにかかっていると、ある報道で
知りました。
主治医の先生からは「なるべく人ごみの中に入らないように」と忠告されています。
今朝は水道の水が凍り、室内は0℃以下と温度計が(声を出してくれる)喋ってくれました。しかし以外にもいつもブルブルと震える私ではありませんでした。
さて、病院の帰りの国道沿いに、JR只見線の「塔寺駅」という無人駅があります。
昨日初めて立ち寄りました。
そして持参したカメラで自撮り。誰もいない山間のこの駅は、会津独特の静寂な時を刻んでいるかのようでした。
今日お送りするのは、未発表の私のエッセイです。
「誕生」は「死」を意味します。
生き続けるということは、自分の命に責任をもつことです。
今世の私の人生とは、
「苦難や苦労を他の人よりもして、その試練に耐えよ。その宿命を受け入れよ。そしてその試練を乗り越えて、魂の成長につなげよ。やがて穏やかな最期を迎えるために…」
仏教の教え、三法印の中の「諸法無我」はこのように解釈します。
生きとし生けるもの、すなわち命ある者は全て他の現象と関わっている。それを「縁」という。人は一人では決して生きられず、他の人々、食べ物、住まい、衣類など全てのものが必要なのである。だから自分が傲慢になってはいけない。自分に関わる全ての人に、全てのものに感謝する心がなければならない。
人の背中を見て、手を合わせることがあるだろうか。
己の心の中の魂を粗末にしてはいないだろうか。
心の中の神殿、神仏に心から感謝しているのだろうか。
「なんで自分の人生はこんなになったんだ…」とむなしさを覚え、悲観していないか
「ようし! こうなったらやるぞ」と力強く宣言しているのか。
この世は様々な人生があり、誰一人同じ人はいません。
そして経験は良いも、悪いもありません。ただただ、自分のところにやってくる経験を体全体で感じ、それを受け入れるのです。
私もこうして年齢を重ねてきますと、着々と死への道が近くなっていることが分かります。しかしまだやり残していることがいっぱいあります。
今の作家としてのスタイルは、私自信も想像すらしていなかった。
それがこの年齢になって実現した訳ですから、神への、そして私のハイアーセルフへの
感謝です。私は「幸せ者」です。
だから今の生き方に羞恥心はありません。
あるとしたら、「不安と恐れ」そして「死」。
だからその恐怖を乗り越えるためにも日々精進しなければならないのです。
男としての自分、そして心の中にいたもう一人の自分…。
この写真の二人はどちらも私自身。
ただ、今は、男性としての自分に自信がなくなっているのも事実。
あまりにも男の世界では苦労してきましたから。
でも逃げたりはしません。この両方を上手に使い分けて、自分の人生を全うしていきます。
今日は少しだけシリアスでスビリチュアルな内容となってしまいました。
さあ、みなさんも今日もお元気で!
それでは次の更新まで、ごきげんよう