51回目の更新となる今日、「常識」と「非常識」を考えてみました
誰が決めるの? 常識と非常識って…。
昨日の家庭教師の時のお話です。
私はメイの格好になって、受験生のお宅にお邪魔しました。
さてこれは、常識? それとも非常識?
多分90%以上の方が「非常識だ!!」とお思いになるでしょうね。
もしこれが私の単独の判断で行動したならば、私もそう思います。
これには理由がありました。
「学校で一日中、受験のレクチャーを受けたりテストなどの学習ばっかりで、夕方5時からの家庭教師の授業は、学校で疲れて帰って来る上に更に疲れることでしょう。ましてや男の家庭教師の先生であれば、なおさらですね。そこでご相談と、ご承認をいただきたいと思います。本人をリラックスさせる意味でも私は今回、変装してスタイルを変えたいと思いますが、いかがでしょうか…?」
「はい、わかりました。気をつけてお出かけくださいね。」
上の電話での会話は、その生徒のお母様でいらっしゃいます。私のことは、このブログで知っておりますのでビックリはなさいませんでした。
案の定、その受験生は私のスタイルをみるなり、ニコッと笑って「先生、元気が出ました」と言ってくれました。
さてここで、上の件が非常識であったのかということに触れてみたいと思います。
先に私なりの結論を申し上げます。
「非常識ではない」
その理由とは?
既にお母様に了解を得ており、その承諾の上で私の制服(メイ)を身にまとったということ。
もしこれが、私の独断と偏見で強引で、勝手にそのコスチュームで伺ったとしたら、これこそが「非常識」と言わざるおえません。
常識とは、「世間一般が認めているその行為・行動そしてその領域である」と私は思っています。
ですが、誰がその「常識・非常識」を決めるのでしょうか。
昔からの人々の慣習、社会の暗黙のルールみたいなことがあって、その中でジャッジをしているに過ぎません。
更に付け加えるならば、人間社会だけに存在する「法」があるのですね。
その狭い価値観や領域に、人々は知らずの内に縛られてしまっているのです。だから「本当はこれがしたいのに、できないのだ」とか「こんなことをしたら人からバカにされる、笑われる、後ろ指を差される」と自分の心の中にその恐怖心を埋め込んでしまっているのです。
今回私がお送りする写真のロケーションは河川敷です。誰もいない時に自撮りしました。それは何故か? 人に迷惑をかけないためです。
いろいろなポーズを撮りながらの撮影ですので、その場を見た人たちは「一体あの人何やってんだろ。変な人だな、気持ち悪いな」と不快な気分にさせてしまうかもしれません。不快なこと、それが迷惑行為なんですね。だから私は自撮りする時は「これは常識、あれは非常識」としっかり認識して行います。世間一般で言うところの狭い心の領域ではなく、私は撮影する時は、いつもそうして思慮深く考え、判断しているのです。
この2枚の写真は、同時刻、同じ場所での写真です(左側の合成写真も同じ)
私の場合、例え仕事のユニフォームとはいえ特殊ですので、絶対に他の人に不快感を与えてはなりません。そこにはモラルとマナーがあります。しっかりとそれらを見極めることに徹しています。
お相手の方に良い印象をもってもらうコツとは?
□ 男女の棲み分けや、メーク、ノーメイクの違いがあったとしても共通なのは、まず笑顔です。すました中でも最低でも、微笑みは欠かせてはなりません。
□ 次に「目の輝き」 目の表情(目つき)で、心の中が読み取れてしまいます。いつもキラキラと、何かを追うように澄んだ心が、その目に表れます。
□ そして「話す言葉・話し方」 口の中で小さな声でモゴモゴしていては相手の方に伝わりません。早口にならず、あまり高揚せず、しっかりと丁寧な言葉を使うべきです。説得力とは、自分が自信を持って発する言葉の数々です。
今日の私のブログの内容について、もしご意見がございましたらどしどしとお送りくださいね。
メール k-asuka1959@mopera.net
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作品のご案内です。
3月半ばまでは、ブログ以外の執筆活動をしばらくお休みします。
なぜかと申しますと、福島県公立高校の第二期試験が3月7日に迫っているからです。私はその対策に時間を優先的に費やします。
これこそが「常識人」としての私の姿でもあるのです。
それでは次の更新まで ごきげんよう