mei_megumi’s blog

私の世界観、スローライフの薦め

昨日は春の嵐。73回目の更新の今日、良いお天気に恵まれると良いのですが…。

あの大震災から8年経ったのですね。私の運命はここで変わりました。

いま私は会津にいますが、東日本大震災がなかったら私はここにはいなかったでしょ

う。

私に限らず、多くの人たちが人生の行く道を大きく変えてしまいました。

予期せぬこと、それが未来でもあります。

いつも安泰に暮らせるんだという考えは大きな間違いであるということに気付きます。

 

昭和33年、伊豆半島を襲った「狩野川台風」は河川が氾濫して甚大な被害をもたらしま

した。天城から流れるる清流、狩野川は台風の影響で大洪水となり、修善寺町で橋の柱

脚に大木がひっかかり、それがダムとなり、やがてはそれが決壊。

特に「熊坂地区」では大きな被害がでました。

人間も家畜もそして家屋も流され、遠く沼津市駿河湾までそのご遺体は流されたので

す。台風が去り天候も回復した矢先の大災害であったと伺っております。

 

当時、私の父、そして学校の先生たちは私たちにこう言いました。

「この狩野川台風では、真っ先に救援に駆けつけてくれたのが、福島県の人たちだ。

お前たちは、その福島でもし大災害が起こったとしたら、当時助けてくださった

福島の人たちへご恩返しをせよ。お前たちの力で復興の手伝いをするんだ。」

 

この教授は、私が成人になっても決して忘れませんでした。

そして3.11が起こりました。

その時は私は学習塾を経営していました。すぐにでも駆けつけたいという思いは

あったのですが、受験生や、まだ他の学年の生徒がたくさんいたのでなかなか福島に

いくことができませんでした。

そして4年後にようやくその復興のお手伝いが実現できたのです。

総務省の復興支援員に合格し、原発事故後の初めての帰還した町「都路地区」の

人たちの心のケアや田畑などの整備に従事しました。

その期間は短いものでしたが、ここで「人々の暮らし」「それぞれの人の心の中」

というものを現実に目の辺りにしたのです。

 

その任期が終了し、こうして人口の少ないこの街に移住して現在に至っています。

正直に申し上げますと、やはりこの街は不便を強いられる事もしばしば。

しかし、緑の山に囲まれている自然の姿は、心洗われる毎日です。

 

次の写真は、道の駅「よりっせ」です。

土・日・祝日は多くの方々がここのオアシスに訪れます。

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メイとメグミ、そしてマコトは何を思っているのでしょうか

 

この街は、高速道路「磐越自動車道」のインターチェンジがあります。

これは大きなメリットですよね。

現在のクルマ社会では、高速道路は非常に重要なアクセスの一つですもの。

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私の家から歩いて20分ほどの近さにあり、新潟行きの高速バスも立ち寄ります。

新潟に一番近い会津、それがわが町「西会津町

私もたまには、新潟の町を散策したり、日本海を見てみたいものです。

次の写真が、その高速バスの停留所と待合室です。

この写真の中の3人は今その高速バスに乗ろうと、そのバスを待っているところ。

さて皆様方は、この写真にどのような会話をイメージしますでしょうか。

どうぞ自由に夢を膨らませてくださいね。

 

それでは次の更新まで  こきげんよう  メイ