107回目の更新の今日、青空晴れ渡る新しき月曜日。何が起きるのか…ワクワクします。
今、私の心はこの紀行文を書き綴ることで幸福感でいっぱい! 私は3つの顔を持って幸せです。それがメイとメグミ、そして筆者である顔です。
土曜日に、若松市内の歯科医院へと定期治療を受けに行きました。今回は歯のブラッシ
ングの指導と共に歯垢の除去もしていただき、「今まで自分の歯を粗末にしてきたな」
と反省しきりです。
さてその帰りのルートはいつも七日町通りを通過するのですが、今回は一旦クルマを駐
車場に預けて、その通りでの自撮りに挑戦!
連休明けの週末でしたのであまり多くの人がいなくて、<これ、幸い>とカメラを自分
に向けました。でもやはり観光客の方やお店の中にいる方、そして行き交うクルマから
の目線は、私にとっては大きな課題です。やはりマスクをはずすのは躊躇するものです
ね^^ だってまったく容姿には自信がありませんので…。女装のリスクは相当に大きい
ものでして、街中それも繁華街での撮影は本当に勇気がいるものです。
どなたかとご一緒させていただきカメラを私に向けてくれれば<ああ、あの人たち観光
客ね>と思われるだけで安心感があるというものです。
いずれにしてもその七日町通りの何か所かを自撮りしましたので、またの機会にお披露
目できれば、と思っている次第でございます。
さて今回も前回の続きを載せますね。
「会津紀行」 第2話 その②
蔵と花と、人情の街。それが喜多方。この町のグルメは庶民の味方・そして最高の宝
さて、喜多方市はラーメンに限らず「蕎麦処」しても有名なのであるが、やはり蕎麦は
喜多方ラーメンに一歩及ばず…ってところだろうか。
実は会津地方は蕎麦の栽培も盛んであり「会津そば」として信州そぱに並ぶほどの
メジャーな地域である。
特に会津北西部の喜多方市山都地区では、蕎麦畑が多く、9~10月頃になると一斉に
白い花をつける。
やがて花が散り、それが結実すると「新そば」のシーズン到来である。
「えっ!これが国道なの?」と林道と錯覚する国道459号線沿いの宮古地区では、
「宮古そば街道」のノボリを何本も立て、観光客を誘致している。
その林道のような国道はその地区が山深い場所にあるので、そう滅多にこんな処まで
来る人がいるのか? と思いがちだが、いやいやそんなことはないのだ。
やはり究極の蕎麦を求める蕎麦通の人が訪れているのだ。
私は本格的な蕎麦通ではないのだが、もう10年ほど前の話だが、長野県の戸隠蕎麦を食
べたくて友人と共に行ったことがある。
安曇野よりも遥かに遠く感じられた記憶が今も残っている。
やっと戸隠に辿り着いたら、実際にその有名な蕎麦店でその蕎麦を食するのに1時間半
を要した。そう、行列ができていたのである。
普段並んでまでそこの店のメニューを味わいたいという気質は私は持ち合わせてはいな
い。こんな遠くまで来たのだから諦めてはいけないという思いだけが先行していたので
ある。
だから前述の「宮古そば街道」もきっとそうだと思う。
「せっかく山奥まで来たのだからぜひ旨い蕎麦を食べてみたいものだ」という心理が
はたらくのであろう。
さて喜多方市から更に北へと足を伸ばすと、もうそこは山形県である。
ただスムーズに通過できない。
「大峠」という難所が我々を行かせないかのように拒んでその険しい山々が待ち構えて
いるのだ。
その難所の峠を下り終えると、やがで米沢市に入っていく。
これまた「米沢牛」として、全国に名を轟かせている町がその険しい山が境界である
とはいえ、喜多方市の隣町なのである。
「蔵の町、人情の町、花の町」として市民全体でその保全を守り続け、会津盆地の北側
を陣取っているという喜多方市の景色、言葉、人の魅力は計り知れない。
いつ行っても何かを吸収して帰りたい…。そんな思考に変えてくれる喜多方市は本当に
凄い ! 私はそうした場所に今いられることに感謝している。
第2話 おわり
次回、第3話は「湯川村」を記述します。
私の紀行文は、単なる観光地案内ではありません。やはり小説家としての着眼点で書き
綴っております。観光案内はパンフレットにお任せすればよいのですから、ネット上ま
たは旅行代理店や道の駅で皆さんはいつでも手に入れますよね。
私は日々のほとんどがいつも一人です。
月一回の通院と毎週1~2回の家庭教師の日は、私がたくさんお喋りする楽しい時間で
す。その喜びは何事にも代えられない貴重なもの。
その時が訪れることに心から感謝しています。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪