今日は土曜日なんですね。最近、曜日の感覚がない私、112回目の更新です。
外に出ると心地よい風が、私を包んでくれます。息をしているという喜びに満ち溢れ、その祝福に感謝します。
今、ご近所にある道の駅「よりっせ」に行ってみました。
ゴールデンウィークの時のラッシュが減り、少し寂しい気もしますが、でもレストラン
棟はお客様でいっぱいでした^^
私の体形はとてもスレンダーですので、「やはり女の人?」と勘違いされているようで
す。以前定期通院の病院の待合室で、私のすぐ隣に若い女性が座りました。
これが男装でしたら、まずこんなことはないでしょうね。
隣に座っている人が女の人? だから安心したのかなって勝手に思いながらも、正直嬉し
い気分でした^^
さて今回から、「会津紀行」では会津若松市の生原稿を書き綴ります。
私の場合は、まずは現地取材(というより、写真撮影ですが)から始まりまして、その写
真を加工している時にいろんな言葉が頭の上に踊りまくっています。
その中から「あっ! これだ」というインスピレーションがはたらくのですね。
そうなると、次々と文章がまとまっていく訳です。
「会津紀行」 第4話 ~その①~
若松市内を歩くと、そこにはいにしえの浪漫ぱかり。町も建物も、そして人々も。
城下町…それが会津若松市のトップイメージであった。
遠く静岡からやってきた私は、会津というところは歴史舞台の花道のようが気がしてい
たものである。
30代の頃に裏磐梯でのキャンプの際、買い出しに行ったのが、ここ会津若松市であっ
た。神明通りに当時から大きなスーパーマーケットがあったのを記憶している。
それは今も健在で「リオン・ドール」というスーパーだ。
3年ほど前にその神明通りを訪れた時に、怖いもの知らずの30代の時の自分を思い出し
ていた。
妻と一緒に観た「鶴ヶ城」や「さざえ堂」そして「白虎隊十九士が眠る飯盛山」
それらは若かった私には、感慨深く考察するには至らなかった。
さてその白虎隊で一人生き残った者がいた。
君主のために殉ずる…当時の封建社会ではそれが忠義として武士は正にその志を常に
もっていたと思う。
だが生き残るということも、武士の勇気と私は思う。
それがこうして後世に残り、未来でも語り継がれるからだ。
語り継がれることによって、白虎隊の若い魂は永遠に報われ、そして喜びと変えられて
ていくものであろう。
夕暮れにこの城下町を歩いてみた。
明治・大正、そして昭和初期の建築物にロマンを掻き立てる、そんな夕刻の時間だから
こそ、私の心に静かな時間が流れていた。
ふと後ろを見返すと、薄暮に白い壁の色がくっきりと映し出されている鶴ヶ城がそびえ
立っている。
外灯の灯りがポツポツと見え始め、私は妙にセンチメンタルな気分になった。
会津…そこは私の心を癒してくれるところ。
会津…そして心の叫びを静かに受け入れてくれるところ。
会津若松市は、そういう会津の中心都市、言い換えると「中核都市」としても良いだろ
う。そこには会津藩より受け継がれたDNAが、今の町の人々に浸透しているのである。
大きな都市計画をすることなく、古きものを残しながらも新しい何かを造っているの
だ。
続く…
会津若松市の紀行文は、その話題が豊富なゆえに枚挙にいとまがなく、どこでピリオド
を打とうかと目下思案中です。
参考までに申し上げますと、私がいた静岡県では
それを手に入れた時の喜びは今も忘れていません。
今私が憧れの地、会津にいられることのその不思議さと感謝の気持ちでいっぱいで
す。私は今こうしてそのご恩返しをさせていただいています。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪