113回目の更新です。 晴天続きですね。ホントちょっと暑いかな。でも梅雨の時期は近づいているのですね。
実は町の景観を一番損ねているものって、何だと思いますか?
身体に当たる風が心地よいです。
ただいま1時間ほどカメラを持ちながら近所を巡りまわっていました。
しかし、ウィッグというものはこの気温の高さで、頭は熱くなるし、また人口毛が
痛んでしまうという悩みがあるんです^^
「だったら、そんな恰好しなければいいのに」と言われてしまいそうですが、私の
制服ですのでそういう訳にはいきません。
さて、今日のブログでも「会津紀行」会津若松市を取り上げていきましょう。
「会津紀行」 第4話 ~その③~
若松市内を歩くと、そこにはいにしえの浪漫ぱかり。町も建物も、そして人々も。
前述の紀行文の中で紹介した「会津若松市の七日町通り」だが、地図を片手に歩く
観光客や修学旅行生の姿が本当に目立ってきた季節となった。
私も最初、この通りをクルマで走り抜けたとき<いやぁ、凄くいい所だな>と感激し
た。それは今も変わっていない。
『大正浪漫 七日町通り』とパンフレットの紙面に大きく載せていて、まったくその
通りだと思っている。
ただ残念なことがある。
建築家としての私の眼には、都市計画、いわばまだ完全にそれが終結していないのだ。
景観を損ねるもの…。
それが数多く立っている電柱と、それに絡みつくように数々の電線類である。
会津鉄道の七日町駅付近は既に電柱・電線類はなく、地中化工事によってその姿は消え
た。だからとても素敵な景観美となって生き返っている。
明治時代に日本は電気を通した。
まずは外灯の設置であった。当時のモノクロの写真を見ると、ポツポツと寂しそうに電
柱が立っている。
でもこれが文明開化であり、その幕開けだったのだ。
近年は電力を送る電線だけでなく、ケーブルテレビや電話線、また高速ブロードバン
ド、はたまた防犯カメラ設置していて、ごちゃごちゃした電線がいっぱいある。
国では『ビッグデーター』といシステムを使い、日本の、いや世界中のデーターを集積
している。
確かに便利な世の中にはなったが、いち早く景観を損ねているそれらのものを地中化し
ていただきたいものだと、私は建築設計事務所当時からそう思っている。
下の写真は、電柱や電線類が消えた(地中化した)風景の写真である。
見事に『大正浪漫』を醸し出しているではないか。
七日町通りについては今後も引き続きもっと深く探訪して、紀行文または小説にして
新たに書き綴るとしよう。
さて、まだまだこの町には本当に魅力的なストリートが数多くある。
その中の一つが『野口英世通り』である。
1992年とまだ新しい歴史だが、会津市民はここに野口英世博士にちなんでこの通りを
会津若松は、彼の大やけどをした左手の手術を受けた『会陽病院』があった。
今もその通りにはその病院の跡地、すなわち面影が残っているのである。
野口博士とその深い縁で結ばれた会津若松市。
市を上げて都市計画に取り組み、レンガ敷の道を造って『野口英世通り』とした。
こうして時代が変わっても、野口英世博士が医学者として大きな業績を残したことは
若松市民に限らず、会津の、いや福島県そして日本の大きな誇りと宝であろう。
続く…
さて次回は、コーヒー専門家として別の顔を持つ私の『若松のコーヒー事情』を紀行文
にしたいと思っています。
「メイ、そしてメグミちゃん。ごめん…今日は一緒に行けないんだ」
「どうして?」
「ああ、原稿の締め切りが迫っていてね。悪いが二人で列車で若松へ行ってくれない
か。もうすぐ野沢駅から発車するから。ホントにごめん」
野沢駅のほど近くに『高橋公園』がある。
メイとメグミはそこの大きな木の下のベンチで涼んでいた時、そんな状況となってし
まったのだ。
「しょがないか…。メグミちゃん急ぎましょ。マコトの分までとびっきり美味しい
コーヒーを飲んでくるわね」
メイはそう言って、黄色いタンポポにさよならした。 続く…
この続きは次回のブログでお話しましょう。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪