132回目の更新の日、今日は待望のハイビジョンビデオカメラが手元に届きます。待ち遠しい!
コンパクトデジカメよ、さようなら。いよいよ本格的な機材で動画撮影となります。どんな映像になるか…楽しみ~^^
物というのはいつかは壊れたり、あるいは失ったりします。だから執着してはいけませ
ん。執着心は欲の固まりとなる恐れもあります。
世の中は常に変化し続けています。だからそれに柔軟に対応してありのままを受け入れ
ましょう。
私が今までこうして自撮りしてきた小さなカメラは10年も活躍しました。
本当にありがとう!
さて今回も引き続き「会津紀行」を載せますね。
何回も申し上げていますが、ここ会津の話のネタにはキレがありません。
「会津紀行」 第8話 ~その②~
菩薩と湯の町、赤い欄干にときめく旅情。それが奥会津への玄関口の柳津町
只見線の話はこのくらいにして、柳津町の中心地に話を移していきたい。
まず目を引くのは『福満虚空藏菩薩圓藏寺』の重厚な佇まいである。岩肌に聳え立つ
その姿はまさに極楽浄土へと導くランドマークそのものである。
まずはこの寺の基礎とも言うべき岩山は、おそらく大地震がきたとしたもビクとも
しないであろう。
建築家としての私の目から、約1200前の時代のこの建築工法は素晴らしい技術を
持っていたに違いない。
現代、日本の土木・建築技術は世界のトップクラスであるのだ。
それは地震大国のわが国では、耐震という技術が昔から備わっていたのである。
日本の仏教の寺は、こうして当時から頑丈な構造をもつ建築物であり、その様式は
中国から伝わってきた「唐様建築」が多い。
私はこの寺社建築を見て、以前住んでいた静岡県伊豆の『修善寺』を思い出した。
伊豆半島屈指の歴史ある温泉地であり、弘法大師が発見したといわれる『独鈷の湯』は
桂川の中に露天風呂として今も存在している。
その露天風呂から北へ数十メートルには『修禅寺』という寺がある。
この柳津町の福満虚空藏菩薩圓藏寺の規模には敵わないが、こうして温泉と寺という
文化はまったく似ているのである。
我が国は、外国から来たこの仏教を広い心をもって向い入れた。
日本神道はこうして仏教と共栄共存してきた。だから神社の中に仏教の寺があったの
だ。宗教戦争をする国々とは違い、大和民族は寛容な心の持ち主なのである。
続く…
近日中に、メイのための素敵なドレス風のワンピースか届きます。今からもう楽しみの
毎日の連続です^^
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪