節目の150回目の更新です。おかげさまでアクセス数が2000を超えました。感謝の心をもってブログを執筆していきます。
「令和」という時代に「昭和」と名のつく村では、昨日の新しい参議院議員選出で何を思うのでしょうか。時代はこうして刻々と流れていきます。
私は投票場へ行く時もメイの恰好で行きます。こうして公共の場でも堂々と振舞ってい
ますが、私の心の中で何か吹っ切れたような、そして今まで苦労してきた分、そこから
脱却するかのように、新しい価値観を見出そうとしているのではないかと…。
書物というものは、自己啓発だけではなく、楽しいもの・スリリングなもの・ミステリ
アス・史実的なものなど多岐に亘ります。そしていろいろな感動を呼び起こさせます。
私は常に己の意識レベルと知識・教養のレベルアップに余念がありません。
そこにはまだまだ知らない世界観が網羅されています。
「生涯学習」という言葉よりも「一生勉強」という言葉の深さと重さを知っています。
さて会津紀行「昭和村」編の続きです。
「会津紀行」 第12話 ~その②~
昭和生まれの私には、この村の名の響きはハーモニーそのものであった
会津盆地から南西側を望むと、下郷町や南会津方面の山々が連なっているのが分かる。
それを更に微妙に西側へと目を向けると、ひときわ高い山々が見える。
この辺りが「昭和村」である。
実は「近そうで、遠い」というのが私の実感。
昭和村へのアクセスは、阿賀川沿いのルート、若しくは只見川沿いのルートそして
その真ん中のルート、国道401号線でワイディグロードを登っていくという3つが
主なルートである。
いずれにしても決して平坦な道ではなく、なかなか険しい坂道が続くのだが、カーブを
曲がる度にそれぞれ違う緑のパノラマが歓迎してくれる。
四季折々の景色が堪能できるのだが、豪雪地帯なので冬の道路を走るのは正直に言って
よそ者の私は躊躇してしまうのである。
そういう他の人からみれば、「こんな厳しい所によく人が住んでいるなぁ」と思うだろ
う。だがここに住んでいる人たちは先祖代々から受け継がれている文化を受け継ぐため
に、そしてこの村の存続と発展のために日夜努力に怠らないのである。
山々の整備や、特産品「からむし織」や「かすみ草」など、この村伝統の逸品が光を
放っているのだ。
確かに村役場は老朽化のような感じであるが、道の駅「からむしの里」は近代的なモダ
ンデザインの中にも、黒と茶色を基調とした民家の伝統様式をもディテールしている。
村の人々の人柄は優しく、とても厳しい山奥の環境で住んでいるとは思えなかった。
野尻川沿いの田畑で、老夫婦が雨に濡れながら畑を整備していた。
その光景に、ある種のノスタルジーに私の心は包まれた。
こういう昭和時代の姿が今もなお残るこの場所は、「素朴」という言葉が忘れ去られた
現代人に心に響くことだろう。
続く…
次回で、ここの昭和村の紀行を取りあえず終了したいと思います。
次は更に西へ行き、「只見町」の紀行を寄せましょう。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪