mei_megumi’s blog

私の世界観、スローライフの薦め

174回目の更新です。一雨ごとにやって来る秋の気配は、コオロギの声と共に私に届きます。

このところの雨続きは、豊かな水となって野に山に恵みをもたらしています。我が心もそうした恵みの時はいつ訪れるのでしょうか…それを待ち続けています。

 

いつも同じことの繰り返し。仕事も家庭生活も…。

いいえ、そんなことはありません。

その全ては長きに亘る人生の中で、ほんのひとこまのワンシーンなのですね。

常に変わっていく。それも全てが上手くいっている! と思ってください。

 

f:id:mei_megumi:20190831071823j:plain

 

ここしばらくは新潟紀行を綴っていましたが、今回は回帰として会津紀行に戻るといた

しましょう。

その番外編として、地元西会津町の伝説の場所をご紹介いたします。

このお話は、実は地元の皆さんもよく知らないことです。

そして私の出身地と大いに関連があったということに、我ながら驚いています。

 

会津紀行」  番外編 西会津町

歴史は繰り返すものなのか…まさか自分が時空を超えて、ここにいようとは想像すらなかった

西会津町から三島町へ通ずる国道400号線

西方街道と言い、昔から要所の道である。現在もこの道のアクセスは奥会津へ通ずる

重要な国道ではあるが、杉峠付近ではもはや林道に近く、くねくねとした曲り道と急坂

は、その狭い道幅にクルマは悲鳴をあげる。

冬はあまりにも深い雪に覆われるため、通行止めとなる。

 

さて国道49号線からこの国道400号線の分岐点を入っていくと、「出ヶ原(いずがは

ら)」という集落がある。

ここに鎮座している『出ヶ原観音堂』は。国の重要指定文化財に登録されている室町時

代の唐様建築の寺である。

 

この出ヶ原という地名を考証していく。

その昔、この地に和紙の技術を教え広めようと、紙職人の集団がやって来た。

そして地元の人々にその和紙の作り方の手法を伝えるために彼らはここに移り住み続け

たのである。

そしてそこに馴染み、この紙を『出ヶ原和紙』と命名して定着させた。

その職人集団の彼らこそ、今の静岡県の伊豆地方から来た人たちであったのだ。

当時静岡県は、"駿河"  "遠州"  "伊豆" と3つに分かれていた。

その伊豆からやってきたのだ。

 

そして出ヶ原を「いずがはら」と呼んだのである。

だからこの出ヶ原観音堂の鳥居の隣に立つ石碑には『伊豆山神社』と書かれているので

ある。

 

f:id:mei_megumi:20190831074301j:plain

 

会津と伊豆の関係…。

こういった縁があったとは私は何も知らなかった。

過去からの歴史は、この仏堂を通して私にそのメッセージを送ってくれたのである。

 

終わり

 

f:id:mei_megumi:20190831075017j:plain

 

今私はこうしてここ西会津町でお世話になっていますが、上のショートストーリーのよ

うに、「まさか自分がここにいるなんて」と不思議な感覚に包まれています。

私が建築設計事務所と学習塾を構え、長年住んでいた場所が伊豆だったからです。

過去からの縁というものを垣間見る感じです。

440年という時が経って、こうして伊豆から私がここに来たのもタイムスリップ以上の

不思議なことです。

多分、私の高次の自分 "ハイアーセルフ" と神が導いたのかもしれません。

 

それでは次の更新まで  ごきげんよう  メイ