mei_megumi’s blog

私の世界観、スローライフの薦め

75回目の更新です。源頼朝は、実はプレイボーイだった! みなさん知っておられましたか?

教科書には絶対載せられない、歴史の裏舞台 その①

源頼朝」の写真は教科書に載っているその姿は、落ち着き払ったお顔と

なかなかジェントルな佇まいを見せております。

 

9歳の時に平清盛の手によって、打ち首になるところを清盛の母、池乃尼に

助けられ、蛭ヶ小島(現、静岡県伊豆の国市韮山区)に流されます。

小島と言っても海の中の島というのではなく、周りが沼地や湿地帯であったので

島のような感じと解釈してください。

 

34歳で鎌倉幕府をつくるのですが、その青春時代は何かと女性に対する愛着が

強く、平家方の武士を統括する伊藤すけちかの娘、「八重姫」と恋仲になってしまいま

した。そしてその二人の間に出来た子供の名前は「千鶴丸

この子は、源氏と平家方の味方の武士の娘の子。

その運命は…。

そうです。すけちかは黙ってはおりません。

孫であるその千鶴丸を殺してしまったのです。

わが子を失った八重姫は、頼朝がいる北条時政の屋敷へ、侍女と伴って頼朝に会いに

行きます。

ところがそこで門前払いされ、八重姫は次女たちと共に、狩野川の淵に身を投げ

鶴丸の待つ天国へと旅立ちました。

 

その時には既に頼朝は、北条正子と大恋愛中。

父の北条時政は、平家が京都で遊びほうけているのを不審に思い始めていました。

そして監視下であった頼朝と、実の娘の正子を夫婦にしたのです。

 

8月の三島大社の祭りに行くとカモフラージュして、まずは「山木判官兼高」を

頼朝軍勢は打ち破りました。

そしてそれを機に、遂には壇ノ浦の戦いで、平家を滅ぼし、1192年に鎌倉幕府

成立したのです。

 

鎌倉市には、この源頼朝と、北条正子のお墓があります。

現代では夫婦が一緒にお墓に入るのが一般的ですが、正子と頼朝のお墓は歩いても

40分もかかる遠い距離にそれぞれあります。

頼朝のお墓は、九厘の塔をかたどっていますが、正子のお墓はくり貫いたような洞窟

めいた場所にあります。

 

もともと武士は、天皇家と公家たちを護衛するためにつくられたのですが、この源平合

戦によって、いよいよ戦国時代へと突入していきます。

 

武士の起こりは、小学校から学んでいきますが、教科書には史実に基づいたものを掲載

しているだけに過ぎず、頼朝のありのままの人間像などは表現されていません。

彼の青春時代にこんなに女性関係でもめていたんだ…などと教科書には書くことはでき

ませんよね。

 

人間ドラマは現代のテレビ番組に始まったことではありません。

有名な歴史上の人物でさえも、そうしたドラマが日常茶飯事だった訳ですが、そうした

ものはカットされ、活躍した場面であるとか、美徳化された人格など、短縮されて私た

ちは教えられてきました。

 

頼朝が実は大の女性好きだった…だなんて想像すらできないですよね。

 

今の日常における皆様の活躍や、生きて動いている様子をメイとメグミはこのように

会話をしています。

 

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猪苗代湖でメイとマコトは、なにか思いにふけっています。

夕方というのは、少しセンチメンタルな気分になるのでしょうね。

 

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それでは次の更新まで ごきげんよう  メイ