痛みは背中から胸へと…「う~ん、後ろと前ねえ。一対なのに同じなの?」そんなことを考える294回目の更新です。
街中の家々に何やらぼんぼりが。でも今年の秋は例年と違う。秋祭り? そう、皆は催事ではなく心の中で祝い、そして来年の豊穣を祈るのです。
まだまだ痛みとの闘いは、日頃の私を疲労の極致へと向かわせます。
だから今日はおとなしく家に引き籠り。そしてこのブログ作品に徹していましたが、
余りの激痛は、我が身を町内の温泉へと駈け込ませました。
少しだけ痛みが和らいできたので、先週の水曜日の光景からスタートです。
この時も体は悲鳴を上げていましたが、どうしてもメイスタイルで外に出たい訳でし
て、近くの山に入っていきました。
日頃は通勤も併せて若松市の街中を130kmも走り抜けます。だから疲れてしまうのは
当然といえば当然。休日は休みたいなという思いと、「やはり旅に出たい」という反対
の心の葛藤が続くのですね。
仕事中のお昼休みには「ああ、あそこへ行ってみたいな」だとか、次のファッションの
アイテムをどう着こなすとか、まあいろいろ考えるのですが、何しろ体が言うことを聞
きません。
「うーん…この痛みが治まってくれればなあ」
今日のテーマは
「一対なるもの、本当は同じもの」
背中の痛みが何故、前の部分の胸にも到達するのか?
この疑問が今回のテーマのきっかけとなりました。
「左向いて、右向いて。次は右向いて」
「赤上げて。青上げて。次は赤上げて」
こんな楽しい遊びがありますよね。
真逆のものを瞬間的にえり分ける楽しさがありますが、人というのはどうもそういうも
のが苦手なところもありまして、正しい判断に困ってしまう場合もあります。
冷静になれば後から「なーんだ、こうすれば良かったじゃないか」
でも「時、既に遅し」
判断した過去はもう戻ってはきません。ですから今から絶対にミスをしないぞと自分で
ジャッジすべきかと…、
秋という季節は、昨日のハロウィンのように楽しい催事がある反対に、陽が短くなり、
ひとしお寂しさや侘しさ、そして人肌恋しい、つまり孤独感にさい悩まされることだっ
て少なくありません。
善と悪
良心と悪心
欲心と無欲
などなど…
人の暮らしはこのように、逆の立場がいつでも180°変えることができます。
秋、私にとっては思慮深い季節。
この一対の中で、私が一番に意識しているのが
「光と影」
影は光がなければできませんよね。影自体が存在する訳がありません。
これは自然現象なのですが、心の中の影というのはまったく違う心理の世界。
自分自身でつくってしまうのです。
光と影は全てのものを魅力的に映します。
また心の中にも変化が現れてきます。
それはあなたの目で見た光景が、ご自身のフィーリングに合致したかどうかによりま
す。瞬間にそこに心の中に光、若しくは影を作り出すのです。
外の世界の光と影は、微妙にあなたの心を揺らします。
総論
一対なるもの、すなわち正反対だとおもっていたものは自分の心で決まるものです。
同じだと思えば同じだし、まったく逆だと思えばそうかもしれない。
まごころというもの真心と書きます。
真の心で物事を見抜いてください。きっとその中に正しい答えがあるでしょう。
私は一人森を歩いて、ふと飼い猫たちを思い出しました。
「こんな風にみんなで天国にいるのかな?」
あなたの思考によって体はアクションしていきます。
そこには良いも悪いもありませんし、光と影という真逆すらない瞬間が待ち受けていま
す。後から振り返ったときに、反省や次のための技法つまり成長の糧があるのですね。
最後に以前ブログに載せましたポートレートでお別れです。やはり当時も光というもの
を焦点に当てていたことを思い出します。
寒くなりました。
コロナと同時にインフルエンザも心配です。
疲れ切ってしまっている体には耐えられるだけの免疫力があるかどうか…
みなさま十分にお気をつけて毎日をお過ごしくださいね。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪