41回目の更新の今日、建築家としてのもう一つの私の顔の紹介です。
「建築美人 建築士事務所」これが当時の私の屋号でした。
1985年に6畳一間の小さな小屋を建て、そこに電話機1台、製図台1台
その頃「青写真」と言われた設計図の印刷機、そして最新鋭だったNECのワープロ
「文豪」を導入しました。
100万円が資金でした。
静岡県修善寺町にその小さな事務所を建てましたので、近隣の沼津や三島市は遠いので
真夜中過ぎまで図面を書いて、明け方に建設会社のポストにその図面を投函、そして
昼間に電話連絡してその投函した図面の打ち合わせをよくしたものです。
なぜかと言うと、昼間のクルマでの移動は渋滞にはまることも多く、時間が無駄だった
からです。まだ20代という若さゆえに成し得た私の技でした。
その後PC技術が一段と進み、CADを導入。そしてメールに添付という時代に突入して
いきます。
気付いてみれば、20年後には、一人で年商5億円までいったのです。
しかし「リーマンショック」の煽りを受けて、ほとんどの個人建築士事務所は大打撃を
受けました。私もその一人です。
先が見えなくなりました。そして我が建築士事務所を廃業し、教育界へと転進したので
す。でもこれは正解かもしれません。子供の頃から夢見ていた「教育界」でしたので
25年間の建築士事務所時代の終わりに悔いはありませんでした。
逆にそこから得た知識や経験、技術は今なお、今の私の作家活動に大いに役立っていま
す。いわば建築は「総合学習の集合体」ですので、文系・理系問わず私の力になってお
ります。コミニュケーション力も建築家時代に養ってきました。
その時の、月刊誌「男の隠れ家」で取材を受けた時の私の作品を紹介しますね。
昨日のブログの「美人」と言葉がだぶっていますが、「建築美人」とは
<建築美>と<人>を併せたものです。すなわち建築美を追求するひとは心も美しくなけれ
ばならないということ。
昨日のブログでは「美人」は外見だけの美人と誤解されてしまいそうですが、本当の
<美しい人>とは、内面からほとばしり出るもの、すなわち「心の美しさ・清らかさ」が
外側の<姿>としてにじみ出てくる人のことを指します。
私はそういう「美人」になりたいものです。ただ外見だけが綺麗だ!と 言われたくない
ですね。内側にある心、いや精神を磨かなければ決して魅力ある人物とはいえません。
CADという数学若しくは物理的な設計図には、それなりの「技術」の披露という美しさ
はありますが、人に訴えるものはそれだけでは足りません。
いわゆる手書きによる、ぬくもりのある絵画をも付け加えると更に魅力ある提案ができ
それが納得していただく領域まで到達していきます。
小説「伊集院 誠…スローライフはこの書斎から」で登場するメイ。
彼女は建築家です。それは私自信であり、この小説の基盤となったのが私の以前の
「建築士」としての職業から誕生しました。
先ほども申し上げましたように、建築家は「コミニュケーションや音楽・美術・技術をも含む、総合学習の集大成」
対する作家(文学家)は「総合学習+人間学+心理学+精神学」と違う学問が加味されて
いきます。そしてそこには自分が生きてきた「人生哲学」さえも生かされてくるので
す。
それでは次の更新まで、ごきけんよう