3日ぶりの更新。128回目となりました。新しい仕事が入って、連夜の夕食は21時頃。ちょっと大変かな…。
人生というものは、どこで何が起きるか…それは誰にも分かりません。ただ一つ言えることは常に良い事だけを考えることだけです。
ポジティブな思考を続けると、やがて良い機会に恵まれていきます。ネガテイブな思考
は、それと似たものを引き寄せます。
貴方はどちらを受け取りますでしょうか。自分を悲しいヒーローやヒロインにしてはな
りません。そういう感傷に陥ったら心ゆくまでそれに浸ってみましょう。
そしてそれを十分噛みしめたら、次は楽しいこと、愉快なことを考えたり動いてみまし
ょう。この私みたいに。
今の私のスタイルは完全に定着しています。心ある人からの声援をたいへん多くなりま
した。心強い限りです。だが決して油断や傲慢に走らずに、謙虚な姿勢を貫き通してい
きますので、皆さま今後ともよろしくお願いいたします。
さて今回もメイの詩からどうぞ。
さて「会津紀行」の続編の生原稿を綴るといたしましょう。
今回も西会津町ですが、いよいよ秘境の里、奥川地区へとお話は入っていきます。
「会津紀行」 第7話 ~その④~
会津でありながら会津ではない町。それが独立共和国『西会津』なのだ
さて西会津といえば、忘れてはならない場所がある。
それがこの町の北部に位置する「奥川」地区である。
平成の大合併でこの奥川は西会津町の一部となったが、日本人の故郷と言ってもいいほ
ど風光明媚であり、そしてそこに住む人柄の良さは特筆に値する。
私が福島県の中通りのT市で復興支援員の任期が終了したとき、「西会津町で人を募集
しているので、清水君行ってみないか」という誘いを受けた。
そして初めてこの町を訪れたときに、奥川という場所へ案内されたのだった。
『国際芸術村』と西会津役場へ一通りの挨拶を済ませ、最初に宿泊した場所が奥川の
『大舟沢』という海抜550メートル程の集落であった。
夜は、他の灯りに邪魔されないため、満点の星空さらに付け加えると天の川がダイヤモ
ンドのようにキラキラと輝いているのが見えた。
私は感激のあまり、その星空を見て涙がこぼれた。
それはここの清涼な空気感とこれまで生きてきた自分の人生への感情がオーバーラップ
して私の頬を濡らしたのだった。
さてこの奥川というのは『秘境の故郷』でありながら、優しくも逞しく暮らしている
人たちの心を感じる。
飯豊連邦の雪解けの水は、この奥川に恵みをもたらし、会津米としてのコシヒカリを
栽培している。
実は新潟県魚沼産のコシヒカリの一部は、この奥川の米であるとか。
なにしろ米の旨さは本当に日本のトップクラスだなと感じている。
私は一時期、役場の健康福祉課管轄で、高齢者や身障者の方々の家々を回り、『雪処理
支援隊』として冬の積雪時に働いた経験がある。
その時の経験談のひとつを伝えたいと思う。
飯豊連邦の登山口に『弥平四郎』という地区があるが、西会津で一番の大豪雪地域であ
る。そこへ行き、雪処理の仕事の昼休みの話である。
凍えきった体に地元のご高齢の女性の方々が作ってくださった「なめこ汁」は、なんと
美味しかったことか。そして体と心が十分に温まり、また元気に除雪ができたことを今
もよき思い出として残っている。
奥川という所は、本当に心が癒せる場である。
続く…
さてメイの詩の写真の私ですが、新しいウイッグが届きましたので早速ご披露しまし
た。じつはこれ、とても評判が良くて「清水さんには一番似合う色ね」と^^
中古のカメラを買って撮影しましたが、やはり画素数が足りずイマイチの感がありまし
て、やはり最低でも画素数1600万画素以上は必要かな? そして動画でも高精細なピク
セルはやはり必需品。近日中には最新のモデルを手に入れようと思ってます。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪