129回目の更新です。目の前の酒屋さんの店が今無くなろうとしいます。感慨深い一日です。
栄枯盛衰…時代は常に移り変わります。それが今、目の前で繰り広げられています。私たちは常に変化に気づくべきなのですね。
例えば、民家の例を挙げてみましょう。
記念物としての建築物はそれなりのメンテナンスを受けて、江戸時代からの建物を残す
ことができますが、一般住宅の場合、いま室町や江戸時代の建物が残っていますでしょ
うか…。ほとんど皆無ですよね。
今新築した住宅建築物も、やがては消えゆく運命にあります。
それは木造・鉄骨造・鉄筋コンクリート造しかり…です。
物体は常にそうした状況にあります。そして自然界も、私たち人間の心の中も…です。
さて「会津紀行」の西会津編は今回でひとまず終了です。なにしろ会津地方は広大です
から、他の地域も紀行として書かねばならない訳です。
実際に出版される時は、ここの西会津町に限らず文章を加筆していきますのでお楽しみ
にお待ちください。
「会津紀行」 第7話 ~その⑤~
会津でありながら会津ではない町。それが独立共和国『西会津』なのだ
この奥川には実は鉄道が引かれていたのである。
山の木を切り出しもそれを運搬するための森林鉄道であった。
既に今はその鉄道はないが、所々でその軌跡を見ることができる。
奥川地区の徳沢駅から分岐して、山の奥へと線路が引かれていた訳だが、今この時に
も、その線路があればもっと魅力的になっているのにと思うことがあった。
例えば「トロッコ列車」を走らせれば観光にも役立つのかなとも考える。
井川ダム建設物資の輸送のために鉄道が敷かれた。その後は廃線することもなく
南アルプスの手前まで行くことができる。
西会津町の奥川の「弥平四郎」まで鉄道があったら登山客や山奥の秘境を目指す
人々が絶えないだろう。
ともかく鉄道がなくなったのは残念に思う。
私は奥川の大舟沢から、町役場の紹介で野沢の街中の住まいを紹介していただいのが
今住んでいる家である。いわゆるメインストリートに面している。
そして町内会の総会で初めて、その町の人とのふれあいがあった。
「皆さん、おばんです」
区長さんの挨拶に皆が「おばんです」と応えている。
おばんとは、『今晩わ』。
初めて聞く言葉に改めて日本の地域の言葉やしきりたの違いを感じ入ったのである。
そして帰り際の言葉は、「清水さん、また会合に来てくなんしょ」
私はなんかとても穏やかな気持ちになってきた。
この「おばんです」と「…くなんしょ」の二つの言葉は、私は西会津町で大好きな
言葉となっていた。
この町は新潟県の隣町ということもあり、社交辞令や式典などでは標準語での挨拶が
多く、静岡に住んでいた私にはなんら違和感はないのだが、いわゆる親しい間柄の人た
ちの会話を聞いていると、やはり東北地方なのだぁ。でもそれは私の耳と心に心地よい
ビートとなって聞こえてくる。
「…だべでした」これは不思議な言葉で「…だべ。」に「でした」を付け加えた丁寧語
なのであろうか。
私は西会津の方言を調べつくして、手書きでそれをノートに残してあるが、それをこの
町で知り合いになった人に見せると、そのほとんどは高齢の方の言葉であり、でも若い
人もついつい使ってしまう言葉遣いも残っているという。
親から子へ、子から孫へと、家のしきたりや家風そして言葉さえも伝承するのは日本各
地に限らず世界中の家族のあり方かもしれない。
次回は温泉町「柳津町」です。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪