171回目の更新です。爽やかです! その心地良さは私の心の中でハーモニーとなってゆったりとした気分です。
田んぼの稲が黄金色に輝きつつあります。恵みのお米は私たちを生かしてくれています。日本って素晴らしい!
今年の3月下旬から会津地方をくまなく巡り、私は地元の人たち以上に多分いろいろな
所へ出掛けているのかなと思っています。
それは単なる観光目的だけではなく、その所々の地の特色を知るためにそしてその印象
を執筆と撮影で、皆様方にご紹介したいなというテーマがありました。
ここ会津に限らず、隣県の新潟県、山形県そして仙台を含む宮城県にも今後も出向き、
北日本の素晴らしさをお伝え申し上げたいと、私の夢にはピリオドがありません。
もちろんコーヒーや建築、教育、美術専門家としての違った観点からも私の人生の
集大成として残していきたいものです。
上の写真は、実は新潟県との重要な関連があります。
そのことを紀行文に載せましたので、ぜひお読みくださいね。
「新潟紀行」 第1話 ~その④~
遥かに遠く感じていた日本海の大都市、新潟。今私はそこに足を踏み入れている
国道49号線は、日本海と太平洋を結ぶ、いわば北陸⇔東北の幹線道路である。
越後街道といい、「塩の道」とも呼ばれている。
内陸部の郡山は海がないため、貴重な塩はこうして古来から運ばれてきた。
会津若松や猪苗代湖周辺も同じように、塩は宝物のような存在であった。
数々の宿場町、城下町には人々が溢れ今もその存在は残る。
だが残念なことは、やはり人口の減少が要因しているのか、徐々に廃れていく町並みは
この越後街道に始まったことではない。
今や全国がそういう状況下に置かれてしまっている。
人口減少は人々の別れを意味する。
だが、人々はそうした危機から脱却しようと必死なって都市計画の再構築を進めている
のだ。国の総務省の管轄での「地域おこし協力隊」が良い例であろう。
新潟市は政令指定都市として存在するが、こうした大都会でも高齢化社会の波は
押し寄せている。
新潟駅から万代シティまで街をかっ歩しながら多くの人たちとすれ違ったり並行して
歩くこともあった。
女性たちはまるでファッション雑誌から抜き出たような素敵な衣装に身を包んだ人が
たくさんいた。
その垢ぬけた風情は私の心の中にエネルギッシュな何かを与えてくれた。
街というのは人の集合体なのだ。
だからこそ時々出かけては、多くの刺激をもらいながら静かに田舎で暮らすのは、とて
も贅沢な暮らしぶりなのである。
続く…
8月22日に撮影アシスタントのカノンちゃんと新潟市に行ったのは、まだ準備段階の
下見、いわゆるプロローグ。
次回はより深くテーマを絞り、再度新潟入りを敢行したいと思っています。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪