54回目の今日、午前中よりの家庭教師の仕事。だから早めの更新です。
初めて訪れる南会津町。今からワクワクしています。
福島県公立高校第二期試験を3月7日に控え、今まさしく中学3年生は受験勉強の真っ只
中です。第一期試験では、作文と面接のみ。ところが二期試験になると主要5科目のテ
ストがあります。
第一期試験はいわば、中学校の推薦枠みたいなところがあって、日頃優秀な生徒たちを
先生方が評価をして、高等学校へと入学試験の志願書を送ります。ただこれは実は大変
難関でありまして、例え5科目の試験が無いとしても、中学校での偏差値や日々の学習
結果の指標となる加点、並びに面接時での本人の意欲も問われますので、すべて合格者
続出という訳にはまいりません。
5科目のテストがないから楽だなぁと思っていたら、それは大きな間違いなのですね。
ましてやいずれにしても、高校へ入った途端に、もっと高度な学習をしますので各教科
の勉強を怠ってはなりません。
3人に一人だけしか受からないというのが第一期試験の現状です。だかにその一期試験
で落ちた生徒には私はこう言います。
「良かったじゃないか。確かに悔しくて残念だって気持ちはわかる。でもね、また国
語、数学、理科、社会、英語の再勉強ができるじゃないか。一期試験で合格した連中と違うところは、合格に向けてまた猛勉強できたんだよ。これはね、高校に入ってから大
きな差ができるんだ。だって一期試験の友だちよりももっと勉強してそして、高校でそ
の成果が現れるんだ。だから気を落とすなよ。
キミは生まれて初めてのこの試練を今体験しているんだね。これって将来にとても大き
な成果を生むきっかけづくりとなったんだね。
だから一期試験で落ちたけど、ガッカリせずに<自分はいいチャンスをもらったんだ>
って考え直すことが今は大切だ」と。
私自信がまったく受験生である当人と同じ位置にいなければならないのです。
そういう平等の精神こそが、子供を成長させていく上での大切にエッセンスですね。
「教育」という漢字2文字を、私自信が紐解いてみましょう。
この二つの意味するところ、一般的には「教えて、育てる」と解釈します。
でも果たしてそれだけでいいのでしょうか…。
私はその逆の意味もあると思っていて、それを実践しています。
すなわち、「自分は誰かに教えられて、育てられているのだ。」ということです。
教育に格差を持たせてはいけません。
全ての人々は平等、公平であるべき。教育は本来そうした姿を持ち併せているのですが
なぜか「教える側、教えられる側」と区別が分かれていますね。
私は一時期、公立中学校の教育支援の仕事をさせていただきましたが、そこで見たもの
は、先生方の必死の努力と一日長時間に亘る勤務でした。
それは生徒たちの学習能力を高めるため、日々の正しい生活習慣を身につけさせるため
のたいへんな仕事の光景でした。本当に頭の下がる思いでございます。
教育の根本は、ただ単に成績を上げる、伸ばすといっただけの狭い領域ではありませ
ん。また凝り固まった価値観では、本当に子供たちの将来に明るい展望は見られないの
です。「夢」や「望み」を持たせ、それを具現化していくのが誠の教育者なのです。
私は、大手の進学塾や家庭教師を経て、遂に建築士事務所と共に学習塾を立ち上げまし
た。いよいよ「これからだ!」という時に、3.11の大地震が起こり、静岡県にいた私でさ
えも、人生は一変しました。
こうした思いもかけない事態が起きた時でも、うろたえることなく「今後の自分はどう
あるべきか…」という自分自身の人生設計ができる人物に育てること。これこそが私達
人生の先輩は、後輩に伝えていくことが教育の真髄と考えます。
今朝は少し堅いお話となってしまいましたが、今日一日もみなさん健やかな心と体でい
てくださいませ。
これから私は出発します。
教育家としての私を必要としているならば、私はどんな所へでも行きます。
建築家、作家、画家、そして教育家の顔をもつ私ですが、それを柔軟に振り分けながら
自分の人生を全うしていきます。
最期に、昨日はプロモーションビデオ(メイの動画)をアップロードしてありますので、まだ観ていらっしゃない方は是非、ご覧になってくださいね。
それでは次の更新まで ごきげんよう
訂正 : 現在発売中ではございません。お詫びいたします。下の資料でした。