とうとう120回目の更新となりました。続けることはやがて宝となります。私の心の財産です。
暑い! あぁ…エアコンが欲しい。でもその器具と日々の電気料は増します。快適を求めるということは、一緒にリスクも負うことなんですね。
それでまずは、皆様方に涼しくなるポエム付ポートレートをご紹介します。
さて今回から「会津紀行」は会津美里町の西側に位置する「会津坂下町」へと移動で
す。この町を更に西へ行きますと、西会津町へと通ずるのですが、<藤峠>という厄介
な山が構えておりまして、たいへん遠く感じられます。
さてその辺は「西会津町の紀行」で綴るとして、ただ今から生原稿を綴るとしましょ
う。私が買い物などで大変お世話になっている町です^^
「会津紀行」 第6話 ~その①~
会津盆地の西側に位置する町は、商業施設と農村風景が見事に合致した理想の町並みだ
今から4年ほど前になるだろうか。
私が西会津町に移住した時、この会津坂下町を「さかしたちょう」と私は呼んでいた。
「違うよ、清水君。これは『ばんげまち』と言うんだよ。」
この町で出会った(今となっては友人)方が、そう教えてくれた。
<うーん…なるほど。音読みではなくて、訓読みか。そういえばこちらの地域では○○町
のことを "○○ちょう" と呼ばずに "○○まち" と呼んでいたな>
さてこの会津坂下町は、私が以前住んでいた隣町の『函南町』のイメージを彷彿させ
た。メイン道路の両脇には、大小の店舗や飲食店が数多く立ち並んでいる。
函南町は箱根の玄関口であり、また新幹線で東京まで1時間というアクセスの良さから
ここに引っ越しして、東京までの通勤者の家庭がグッと増えたのだ。
平日は都心。休日は、伊豆・箱根・富士へと自然の中で生活を楽しむという、非常に
恵まれた町であった。
対する会津坂下町はというと、町の名は会津若松市や喜多方市のように有名な地名では
ないと正直に申し上げる。
会津盆地の西側を陣取っているこの町は、知名度は多少低くてもアクセスは非常に良い
のである。新潟県にも山形県にも、あげくは更に南下し続けると、尾瀬まで通ずる。
何よりも、商業施設が多いのでここで暮らすことにはなんら不便はないのである。
会津坂下町の立ち位置は、例えば東京のベッドタウンが千葉の浦安だったり、埼玉・神
奈川をも含めた町、いわば会津版でいえば、会津若松市のベッドタウンともいえよう。
さて、この町から一人の有名な歌手が誕生した。
そのショートストーリーをご紹介しよう。
続く…
さて私の住む西会津とこの会津坂下町の交通アクセスですが、メインは国道49号線で
す。もちろん高速道路も繋がってはいるのですが、公共交通機関は西会津町の町民バス
が一日3往復しかありません。
これに乗り遅れたら大変です。今年の冬、私はそのバスを利用しましたが本当に助かり
ます。マイカーを車検に出した時は本当に不便でした^^
上の写真はその時の自撮りです。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪