110回目の更新の日、今日も昨日と同じく少し暑くなりました。会津紀行の再開です。
体温の低い私が裸足…? それくらい室温が上がっています。
今日は「沖縄で梅雨入りか」という気象庁の発表がありました。
つい数か月前までは我が街は雪景色でしたのに、今は緑の季節。
写真の背景もグリーンの爽やかな風をイメージさせてくれています。
ところで「食」の話ですが、ここ会津では「ソースかつ丼」というご当地
グルメがありまして、私は最初何のことか分からずにいました。
かつ丼と言ったら、煮込んだトンカツを卵とじにして暖かいご飯が盛り付けた
ドンブリに載せます。
そしてトッピングに三つ葉やグリーンピースなど緑色を添えます。
それを見たり、また三つ葉の香りを嗅いだとき更に食欲が増すというものですね。
このソースかつ丼を食べるシーンは、私の小説の中に書いております。
それとは別に、またまたちょっとしたストーリーを作ってみました。
それではここから、「会津紀行」の続編の一部を書き綴るとしましょう。
会津紀行 第3話 ~その②~
えっ!? これで村なの…絶対にそうは思えない広々としたこの地はアクセスも素晴らしい場所、それが湯川村なのだ
地名の名前とは面白いもので、先程の「湯川村~ゆがわむら」と正しく読める人は
多分会津の人たちくらいであろうか。
理論物理学者としてノーベル賞を受賞した「湯川秀樹博士」は "ゆかわ"とその苗字を
言うので、湯川村を"ゆかわ"と読んでしまうのは、湯川秀樹博士という名が、自分の
潜在意識に入り込んでしまっているためだ。
ゆがわの "が" は濁点があるので東北訛りの特長なのか、それは私は実際に研究
していないのでわからないが、地名の呼び方は千差万別なのである。
少し話が脱線するが、以前私の住んでいた伊豆地方に、「西伊豆町~にしいずちょう」
「南伊豆町~みなみいずちょう」という町があった。
この2つに「会」の言葉を付け加えると、「西会津町」「南会津町」となる。
この会津の2つの町名の呼び方なのだが、町を「ちょう」と呼ばずに「まち」と言う。
私は西会津町に来てしばらくは、「私は西伊豆町に住んでいます」と西会津を西伊豆と
言い間違えるほど、頭の中で混同したのを覚えている。
今でも時々、にしいず…と言い間違えてしまう。
この地名の微妙な違いのある町に今住んでいることは、偶然? それとも必然?
そんなことを時々思ったりしている。
さて話を「湯川村」に戻そう。
あいづ道の駅は別名「あいづのへそ」とも言う。
これは言うなれば、会津の中央というべきことなのであろう。
この道の駅は、湯川村と会津坂下町と合同して運営している駅である。
このように2つの町村にまたがり、道の駅を形成している所は全国的に
みても、そうないであろう。
ここには上の写真のように、阿賀川の河川敷が隣接しており、その広々とした
光景は、明るい陽光と共にいつまでもここにいたくなるような雰囲気を持っている。
週末の夜は、この道の駅では今たいへん流行しているキャンピングカーが十数台も
リパークしている。
中央部の「あいづのへそ」なのだから、四方八方に向かうことができるから
宿泊するには絶好の場所なのかもしれない。
今回の締めくくりとして
「会津」の語源を辿ってみたいと思う。
『古事記』によると、諸国平定のミッションが終了した「四道将軍 大毘古命」と
建沼河(たけぬなかわわけ)の親子が、この地で合流したことに由来しているという。
そう調べてみると、「なるほどなあ」と思う。 合流=会う (会津)
会津はいつも申し上げる通り、その面積と共に中身も相当広い!
果たして私はどこまで書き続けることができるか。うーん…私の宿題である。
次回はいよいよ会津若松市を綴ります。
今の会津若松市の街の様子を彼らはどんな風に観ているのでしょうか。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪