深夜の46回目の更新。3枚の水彩画を投稿する、暖かい真夜中です。
2つに別れたシベリア寒気団が南下してきます。北海道では-30℃になるとか…。体は要注意!
先に申し上げますのは、昨日のブログで、JR只見線の「塔寺駅」を「柳津駅」と記載してしまいましたことを深くお詫び申し上げます。ブログを訂正しましたが、一部の箇所が修正できずそのまま残ってしまっていますことをご了承くださいませ。
実は今日、今度は若松市内の歯科医院に行きますので、この夜遅くにこのブログを作っております。
一本の歯がグラグラしていて、それが神経に当たりとても痛い日が3ヶ月程続いています。多分、歯医者さんはその歯を抜くのでは…。無くすことは残念ですがやむを得ません。痛みとさよならをして、硬いものが食べれる元の状態に戻りたいものですね^^
さて早いもので、一ヶ月後に迫ってきた3.11。あの大地震は2011年でしたので、あれから今年は8年経ちます。
私は震災4年後の2015年に、総務省の復興支援員となり、その赴任先が福島県田村市でした。皆さんもご存知のように、福島第一原発事故以来、初めての帰還者第一号となった「都路地区」の住民の皆様の心のケアと、家屋、田畑などの整備に従事しました。
その業務は短い期間ではありましたが、たいへん有意義な日々を過ごすことができました。何よりも災害後の人の心の在り方が変わっていくという現実をありのままに見たことです。そして復興への人間の英知と努力は、人それぞれ違えど「生き抜く」というその信念を垣間見てきました。
私が住まわせていただきました仮設住宅は、その都路町の人たちの避難施設でした。その場所は、「田村市船引町」にあり、都路地区の我々事務所に行くのに片道25km移動します。
私は休日にスケッチブックと絵の具を持って、3枚の絵を描きました。後日には、仮設住宅でお世話になっていました3人の方の住宅も描き、額縁に入れて最後のお別れの時に、その絵を送ったことを今も覚えています。今回はその方々への絵はプレゼントしましたので、ここで載せることはできませんが、そのうちの一軒が、私の愛猫「ナナ」が眠る山を提供してくださった方の家でした。この場をお借りしてあれから年月が経ちましたが、再びお礼を申し上げたくこのブログをお借りしております。
さて今回も、小説 第3弾「カフェ『夢倶楽部』マスターのつぶやき」の一部イメージポートレートをお送りしますね。今回は少し質の高い合成写真になったかと…。
写真と文章のイメージはずれていますが、どうか皆さん、私の世界観をみてください。
皆様にご覧いただいてもいいようなポートレートがそろそろ600枚程になりました。毎日コツコツと3~5枚作っています。
近日中にはまた音楽付き写真動画を、このブログに載せたいと思います。
ごめんなさい。上の3つの枠内は開けないかもしれません。
作品のご案内は、小説名か、私「清水一穂」の名前で検索してくださいね。
今日は金曜日。この週末は荒れ模様の天候になるかもしれません。
どうか皆さん、お体をご自愛くださいますようお祈りしています。
それでは次の更新まで、ごきげんよう