173回目の更新です。昨日は九州北部で甚大なる大雨被害が…! 尊い人命が失われました。
未曽有の災害はいつ自分の身にくるのか、それは分かりません。人それぞれ運命というものを持っています。だから今を一生懸命に生きるのです。
クルマで避難する途中に水に流され、その命を落とした方が何人もいらっしゃったと
聞きました。本当に残念なことです。
人生の集大成を迎えようとしているご高齢の方の無念はどれほどのものだったのでしょ
う。やはり自然の猛威とは人間が敵わないもの。
でも人々はその英知と努力によって古来から、自然の猛威と闘いそして防御しているの
です。
人にはそれぞれ違った生き方をしています。
誰一人同じ人はいません。
この私とて同じこと。 こうして私の次の人生のステップが来るとは想像さえしていな
かったのです。
さて気分を変えて、新潟紀行を続けるとしましょう。
今回は私の別の顔、「建築家」からみる瓢湖の考証をしていきたいと思います。
「新潟紀行」 第2話 ~その②~
塩の道…越後海道沿いの町並みには今も活気が溢れている。新潟平野のオアシスの町だ
ラムサール条約に正式に登録された、阿賀野市の白鳥の湖『瓢湖(ひょうこ)』
素晴らしい環境の元に、渡り鳥たちはじめ、他の野鳥たちは安心の楽園として保護され
ている。これはやはり人間の手によって整備されている訳である。
例えば、入り口にある駐車場はクルマを止めるエリアを小さくしている。
それは鳥たちを驚かせないための工夫の一つではないかと感じた。
観光バスなどは、別の場所に止めてくれるように付近を整備して駐車場を作っているの
だ。騒音や、どっと集まる人たちから野鳥たちの神経が弱まらないようにという配慮だ
と私は思った。
また園内はその湖を囲む遊歩道と、なるべく直線道路を作らないというそのアプローチ
の方法が私はとても気に入った。
くねくねと曲がる遊歩道に小さな橋やベンチを設け、その曲がっている歩道を歩くたび
に、目の前の光景が変わる。
これはこの公園の設計段階の計画であると思うが、素晴らしい設計なのではないか!
だから飽きることなく歩き回れるのである。
管理棟に目をやった。
そこには長靴や作業着、そして多くの道具が整然と置かれていた。
おそらく湖の中や湿地帯の清掃をするための道具なのであろう。
こうした管理する人たちの日々のメンテナンスが、こうして鳥も人も憩うことが
できる恒久的な公園づくりをしているに違いない。
ただ時代は常に変化しいる。
この瓢湖も同じように変化する。だからこそ衰退ではなく更に活気づく発展を
心から祈っている。
飼育小屋のクジャクのオスが今その大きな羽を広げた。
ブルーにパープルの混じったグラデーションの羽は、そのクジャクの存在を誇張
している。
今を精一杯に生きる数々の動植物の命を私たち人間は深く観察し、見習っていきたい
ものである。
建築物や構造物は動植物の命と同じく、やがては消えていく運命にある。
「いつまでもあるんだ」という観念を捨て、「やがては自然界に帰っていく」という
ことを忘れてはならない。
第2話 終わり
私の建築家歴は気づいてみれば40年となりました。
既に設計業務は卒業していますが、若い頃は新しい建築物を造ることだけを
夢見てその業務に励んでいました。
ところが最近の私の建築論は、そうした新しいものだけでなく、古いものや
歴史あるもの、そして時代の変革と共に消えていくものにも着眼点を置くように
なったのも事実です。
私は今、その分野でもそれなりの考証をもって評論家として再出発しようと
しています。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪