185回目の更新です。 またまた台風が襲ってきます。今度は17号。だけどもずっと居座っていません。こうして自然界も変化しています。
おごそかな中にも人々は活気あふれ、町が生き生きとしている。そんな町づくりにしたいものですね
前回のブログでの、山形での紀行文をお載せしたいと思います。
地図を広げてみますと、米沢市はそう遠くないと感じます。
しかしいざ走ってみると、山あり峠ありとなかなか遠く感じられました。
平面で見る地図と、空間(立体的)に身を置くとでは大部違うなと実感しています。
今日はいつもと若干違い、歴史考証を交えながら進行していきますので少し堅い雰囲気
になるかもしれません。でも分かりやすく楽しめるようにブログを作りますね。
この城下町は今やアメリカでも知られる知的要素を潜在的に持っている町だった
国道121号線は新潟県と山形県の県境、難所「大峠」を越すが道路は整備されていて
快適に通過することができる。
辺りの山々はとても高く、そして深い。
秋になれば見事な紅葉で、山々達は赤や黄色で覆われるであろう。
この峠には「虹のトンネル」いうとてもロマンテックな名前をもつ7つのトンネルが
あるが、やはり3940mの長さの「大峠トンネル」は迫力がある。
そこを抜けるといよいよ山形県なのだ。
戦国時代というものは、いわば国内の内戦状態を指す。
現代でも世界の一部の国々ではそうした内戦は続いている。
戦いとは古来からあるものであり、人間に限らず他の動物やはたまた植物の世界でも
ある。
富士山の場合、森林の限界地域というのがあって、ある高度からは生育できない。
そこから先はフジアザミがあるだけだが、それもある程度の標高に達すると、既にその
姿は見かけなくなる。
樹木というものはススキや他の背の低い植物の群生に入り込み、そして抑圧してそのテ
リトリーの中に侵入してきたのである。
人間も同じことが言えて、領地の拡大のためであるとか収益向上のために、また君主の
欲望のために常に戦いが繰り広げられていたのである。
さて戦国武将には多くの有名人がいるが、特にライバルとして二人の武将がいたことは
ほとんどの人が知っているであろう。
私はゲームはしないのだが、教え子の中学生に聞くと、今では戦国ゲームが流行ってい
ると知った。いわゆるヒーローとして戦国の世の武将たちが現代に蘇っているという
ことである。
そしてその上杉家の9代目の藩主が「上杉鷹山(ようざん)」である。
72歳で没したが、生涯を通して人々の暮らしを守り続けた。
そして自らが心得として「伝国の辞」というものをしたため、常に自戒の念をもって
日々に勤しんでいたのだ。
この上杉鷹山の有名な言葉は今やアメリカに限らず、全世界へと広まっている。
なせば成る なさねば成らぬ 何事も
成さらぬは人の なさぬなりけり
城跡 (今は上杉神社) を中心にしてそれを取り囲むように数々の寺社が立っている。
そして東には松川、西には掘立川という小さな川があり、いろいろな通りが碁盤の目の
ように張りめぐらされている。
現代の人々は昔の面影を残しながら、より良い方向へとこの町を生かしている。
こうして米沢の人たちは、その長きに亘る歴史の中で明日に向かいながら更に飛翔いて
るのだ。また米沢市は福島市と密接で良好な関係があることも特筆に価する。
と、いうことは福島県と山形県の置賜は深い縁で繋がっているのだ。
私は「歴史は繰り返す」という意味はまったくないとは言わないが (人の過ちは繰り返
す) それは宿命とは思わない。何故ならば人の心の動きで戦ってみたり、過ちを犯すか
らだ。
だから私は「歴史は継承する」と言葉を置き換えている。
歴史から学ぶということは、すなわち現代に生きる私たちの教科書でもあるのだ。
続く…
さて次回は、米沢の自然をテーマにして紀行文を載せることにいたしましょう。
吾妻スカイバレーから見下ろした檜原湖の美しさは大変印象に残っています。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪