更新186回目です。大自然のパノラマに圧倒したと同時に、ちっぽな自分がそこにいました。
裏磐梯の奥深くの山々は、決して優しい表情とは無縁。そこは神が作った圧倒的なエネルギーの宝庫だった
米沢市から国道121号線を使おうかなと思いましたが、「そうだ! 檜原湖へ通じる道が
確かあったな。よし、そちらへ迂回して帰るとするか」という一人旅ならではの自由奔
放な気持ちで走りました。
ところがそこは難所中の難所だったのです。
その道の名は「西吾妻スカイバレー」
私の小さなクルマのエンジンは悲鳴をあげながら登って行くのでありました。
やっと峠に着くと、眼下には檜原湖が見えます。
「霧の摩周湖」という名曲がありますが、ここから見たのは「霧の檜原湖」
私はその光景に、思わずため息をついてただただ見つめていました。
この城下町は今やアメリカでも知られる知的要素を潜在的に持っている町だった
「磐梯朝日国立公園」
その名の通り、ここは大自然に囲まれた秘境ともいえる場所である。
西吾妻スカイバレーは標高1400メートルにも達する場所を大小のカーブを伴いながら
その存在を誇示していた。
私の故郷は富士山の麓であるが、当時「チェリーライン」とか「富士山周遊道」と名乗
って御殿場市から富士宮市の白糸の滝まで通ずる道がある。今は「富士山スカイライ
ン」と改名しているが、標高2400メートルまでこの道路は一気に登ることができる。
私が高校生の頃、2回ほど富士山一周を自転車で旅した経験があるが、2400メートル級
までペダルを漕ぎ続けては、富士の醍醐味を感じたものだった。
その富士山の場合は、その山一つなので山々に囲まれているという感はない。
ところがこの西吾妻スカイバレーはいくつもの山々が目の前に押し寄せてくるという感
じである。
今回の旅ではもう夕刻に差し掛かっていて、更には霧の中へと入っていったので一人旅
の私としては非常に心細いし、寂しさもひとしお感じていたのは事実である。
だが考え方を変えてみると、こんなに素晴らしい中に自らが入り込めるということは
素晴らしいことなのだ。
そしてその寂しさや怖さを知るということは、私の弱さを知ることもできたのである。
モノトーンの中に深緑の山々たちは、夏の終わりを感じさせてくれた。
その神秘な色合いにスピリチュアルな要素も重なって、まさしくここは「神々の山」
と形容できる。
だが人間の素晴らしきことは、山々を切り開いて道を作ってきたではないか!
トンネルや橋を架けてきたではないか!
クルマも船も、そして飛行機というものも作ってきたではないか!
その人間の英知と技術力は素晴らしいものだ。
だから自分を嘆いてはならないのであり、ただ前進あるのみだ。
そして自然界に感謝し、他の人の施しにも感謝できる寛容の心ある人間になりたい。
漆黒になりつつあるこの高い山々を見ながら、やがて人家が見える里に着く。
檜原湖は薄暮の中で静かに佇み、私がそこを通り過ぎるのを見守ってくれた。
喜多方市の町の灯りの中に入り込むと、そこには多くの人たちがいた。
私の米沢への旅はこうして終わった。
それは300㌔走った私の心の中に染み渡る、初秋の風であった。
終わり
"うえやま" と呼ばずに "かみのやま" と言います。
とても素敵な場所でした。
そしてその紀行文が終わりましたら、「メイとコーヒーとニャンコたち」の第2弾
短編小説を数回に分けてお届けします。
東日本大震災の復興支援員として、任務に携わった町のその後は…?
そこを訪れました。
そして感慨深く、過去のことを振り返りながら小説という形にしていきたいと思いま
す。今はただそれでけを申し上げるのみ。凄いことになっていましたよ。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪