そうでしたか…もうお別れなんですね。主治医のN先生と看護師のWさん。後から込み上げる涙、涙…261回目の更新です。
4月とは、また新しきものと出会う月。ですが別れというものも…
中学校に勤務していた頃、やはり3月の卒業式は、おめでたいながらもひとしお寂しく
なるもの。それから2年後の昨日、今まで私のために尽力を投じてくださいました先生
と看護師さんとのお別れは寂しい限りです。
ですがそのお二人のご無事とますますのご活躍をお祈りしながら、今度はまた新しい主
治医の先生にお世話になります。
これが年度末と年度初めの仕方のない恒例なのですね。
1年前、ガリガリに痩せていた私。その病院での治療薬の一つである漢方薬を摂取し続
けています。その漢方薬を処方してくださった先生が、今度の私の主治医。女性の先生
でして、
「あら? 少しふくよかになった?」
「ええ。体重はあまり変わりませんが、頬っぺたの辺りがプクっと、ですね」
「もしかして漢方薬の効果が出てきたみたいですね」
「ええ、本当にありがとうございます」
今日からのテーマは「心の閉塞感を取り除く」
心とは一日中同じだということはありません。
感情とは、常に思考をコントロールしています。従いまして「ええい、引き籠ろう」と
思ったら、そんな風になってしまいます。
座禅や瞑想のように澄み切った心の引き籠りでは、その静寂な中で更に心の動きがアッ
プしていくのですが、完全に自分の心が孤立した時にはいずれ目に見えないネガティブ
を引き寄せてしまい、何をやっても上手くいかなくなります。
上手くいかなくなるから更にあなたの心は閉塞へと向かってしまいます。
自分を律することは大変に良いことです。ですがあまりにも自分に対して厳し過ぎると
その反作用 (若しくは副作用)みたいなものが生じかねません。
心の閉塞は、いろんなところで数々の弊害をもたらします。
最初はその人に同情の気持ちをもって受け入れてくれる人たちがいますが、ご自身が
いつまでも心の中に閉じこもってばかりいますと、いずれ人は離れていきます。
お相手の方の心情をよく理解しながらも、決して感情移入してはいけません。
ただただ客観的に人や社会を観察するだけで良いのですね。
「コロナのせいで俺はこの町に缶詰だ! 自宅待機? なんだ、それ。もう精神的にも
参っちゃているよ」
いえいえそんなことはありません。例え我が身が隔離に近い状況であっても心は常に
開くことです。そうすることによって思いもかけないチャンスが巡ってくるものです。
そう、雨が降り続いるなと思った途端、雲の切れ間がらひょっこり太陽が笑うような
昨日の病院帰りに喜多方へ寄りました。
雨が降っていました。普段だったらカメラが壊れてしまう、なんて理由をつけて
自撮りをしませんでしたが、ごく普通にそして自然に私はカメラの前に立っていました
我が心の閉塞…
それを社会情勢 (事故・事件・災難) が悪いのだからとか、あの人が、この人がと絶
対にそのせいにはしてはいけないですよね。全部自分が原因をつくっているのですから
新潟県でも感染した方がいらっしゃるとかで、私もしばらくは新潟市中心地へと行けな
いかもしれません。「その前に行って良かった。だってこの橋が見たかったものだか
ら」このタイミングは偶然ではないことが分かります。必然的だったんだなあと。
先程まで強い雨が私の部屋の窓を叩きつけていました。いまふと外に目をやりますと
明るい陽の光が…
心が閉じたとしても、この太陽の光のように必ず心は開いてくることを信じましょう
連載小説のお休みが続いてごめんなさい。
このように他の作品づくりにたいへん手間がかかっておりまして。
ああ…これも言い訳ですよね。十分に気を付けます。
今週もあとわずか。明日は私が生まれた日。
今日の最後に、こんなポートレートで締めくくりましょう。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪