暗い世相の中でも、個人という私の存在はどこに向かう…生きることに「苦」はいつでもついてくる。後は自分がどうしたら良いのかで結果が出るのです。263回目の更新です。
「おお…これはいいではないか! 」たった一つの三脚に巡り会い、手に入れたことに感謝しています。
今まで自撮りのための三脚は、超ミニミニサイズのものが2本だけでした。それをクル
マのボンネットや窓際、木の枝に立て掛けて我が身を写しましたが、「もっと本格的な
三脚が欲しいものだな」ずっとそんなことを思っていました。
そして遂に巡り会ったのが、とってもリーズブルでかつ軽量。「これならメイやメグミ
のスタイルをして持ち歩いても違和感はないな。そしてクルマから離れてもっと幅広い
エリアまで行って撮影できるぞ」という喜びを与えてくれました。
自分がそれを必要とするとき、それを強く念じ続けますとやがて手に入ります。
それは誰もが平等なのですね。
今日のテーマは、心の閉塞を取り除いた後に来る「心の遊戯」について考えていきまし
ょう。
子供の頃はあんなに無邪気に遊んでいた私たち。
あなたはいつから頭を抱えてしまうような、塞ぎ込んだ心を持つようになったのでしょ
うか。しかしある日突然、その悩みや不安から解き放たれるときもやってくることを
知ってくださいね。
但しそれは、あなたご自身の心が「そのようになれ」という強い信念がなければ絶対に
来ないのですね。
今日のブログでは、いろいろなシチュエーションを掲げて、そんな「心の遊戯」すなわ
ち、ゆったりとした穏やかなる心のリズムを感じ取ってください。
数多くの作品の中で皆さんの生きるヒントとなるものがございましたら、私は大変に
嬉しく存じます。
上の作品のように、たった一つの菜の花に私は着目しました。
いつもだったら通り過ぎてしまう何の変哲もない景色なのに、そこには心の扉を開く鍵
があるのです。そして文章を重ねて写真との融合の中に、私の世界が出来上がります。
これは誰もができること、それは常にアンテナを張り巡らせることです。
心の中の「負の財産」はいつでも「勝の財産」に変えることができます。
自分の心に打ち勝つということは並大抵のことではなかなか成就できません。
だからあまり負に対して意識せずに、まずは動いてみることです。
動かなければ何の変化もなく、また結果というものが出ません。
良い結果をつくりたいならば、良い原因を自らがつくるのですね。
仏陀はこれを「因縁果報」と説きました。
人間社会に限らず、地球上の動植物は常に自然界の脅威の中にいます。
地震・火山噴火・台風や今回のように目には見えないウィルスなど…
ですが人はそれぞれの役割を持ってこの世に生きてきました。
どうか「生きる職人魂を持つ」という自分の人間像を知ってくださいね。
あなたの職人芸は「生きる達人」なのです。
暮らし方や仕事にはいろいろな分野があります。
今のあなたは、それを選択しています。
「いつも安定してるんだ」
これは絶対にあり得ません。例え自分に非がなくてもこの世というものはいつ、どこで
変わってしまうのか…誰も予想などできません。
『諸行無常』という「この世は常に変化している」という教えを「私は常に変化してい
る。心の中も身の振り方も」と変えてみてください。
そうしますと、自分の心の位置が分かり多少の驚愕でさえも何ら恐れることがなくなっ
てきます。そして「心の遊戯」つまり心の広い状態となるのです。
「自分のことで精一杯なんだ。だから他の人を構ってなんていられない」
これは自分のことだけを悩み続ける心の狭い了見なのですね。誰だってこういうときが
あります。でもこれは、何も恥じらうような悪いことではありません。
この感情を通り過ぎますと、人への想いみたいなものが思考の中に入ってきます。
これが「ゆとりの心」
「ええい! 俺の邪悪な心よ。空中で散ってしまえ!」
こうして自分自身の自戒は、ある種の解決策の入り口となります。良い意味での開き直
りは、我が心をリセットすることになります。
私の提唱する「心の遊戯」
遊戯という熟語を紐解きますと、「遊び戯れる」ということですね。
もちろん無心、無邪気になって子供の頃のようになれるということは、あなたの心を
元に戻す作用が生まれます。
もっと深く突き詰めれば「心の遊戯」とは、「心を広く持つこと。ゆとりの心を」
と言えることができます。
その心は自分自身のみならず、自分に関わる多くの人たちを救うことができるあなたの
最大の精神なのです。
今日のブログはこの一週間でやり遂げた作品を一挙に載せました。
長いブログとなりましたことを申し訳なく思っています。
最後にこのポートレートで閉じましょう。
春…それは新しき自分との出会いが実現できる季節でもあります。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪