「あっ! どうした?」右脇腹の激痛は布団から起き上がれない…昨夜部屋の中で転倒した後遺症を抱えての292回目の更新です。
「やあお帰り」外から戻ってきた愛猫とすれ違いに掃除機につまづいて大転倒! 生まれて初めてこんな激痛が。起きれません、そして仕事も…。
あばら骨をやられたか…。救急車を呼んで病院へ行くにしても、玄関は施錠しているか
ら、救急隊員を招くとしても私が玄関を開けなきゃ。
でもたった数メートル先のそこまで辿り着けないこの激痛に苦しむ。何とか工夫して起
きようとしても悪戦苦闘。やがて十数時間絶って、今ようやくこうしてブログを作るこ
とができるのは奇跡なのでしょうか。
その苦痛の中で、とある日に出掛けた緑の森をイメージしつつ、良いことだけを考えて
いた私がこれ。
この激痛は私をどんどん疲労へと導きます。
疲れ切った私は夢うつつの中で、先週訪れた奇妙な世界を夢の中で再現していました。
メイではなく今回の主人公は、川平メグミ。
芸術の秋
なるほど…立派な美術館や博物館に行かなくとも、身近にこんな世界観があるんだ。
本題に入る前に、この3ヶ月余りの間、新しい仕事で私は日々忙しく注意散漫という原
因が今回の災難を招きました。
誰のせいでもありません。自分自身が招き寄せるのです、何事も。
今日のテーマは
「あなただけの価値観を知る」
秋という季節は、世間では "食欲の秋" "芸術の秋" なんてよく用いられますが
また自分を見つめ直すことのできる素晴らしい季節でもあるんですね。
秋の夜長はこうした良い機会を与えてくれます。
また今年は、多くの人たちが夜の街へと繰り出すのを躊躇しています。
だからこそ、自分の価値観の意義なるものを再発見するのに絶好のチャンスなんです。
隣町の新潟県、阿賀町。山奥には「奥阿賀」という所があります。
そこで見た景色とは?
先程も申し上げましたように、メグミの恰好で自撮りしました。メイは後で合成したも
のです。最近メグミを表に出していませんでしたので、こういったことも私自身の付加
価値なのかな、と。
ご覧のように、ここは水田。その中にアート作品が整列のないままに、つまり自由な
場所に鎮座しています。
ここの厳しいルールのないものやフリーダムなものに私は魅了していました。
ここに生きるという価値観を見出したのです。
その価値観をメグミが言葉として表してくれました。
作家としての私は、こういう機会に恵まれてとても幸せです。
価値観は誰一人同じ人はいません。
そしてそれは平等であり、どれが良いか悪いかの選択すらありません。
あなただけの世界観、すなわち価値観は誰にもジャマされない揺るぎないものなので
す。ですから堂々と人生を渡り歩いてくださいね。
過去・現在・未来
時空はそうして移り変わります。
そのとき自分が何を成し得たのか、何の思考が今の自分に仕立て上げているのか、
その瞬間の自分が、極端に言いますと10分後の未来を想像していきます。
昨日は久しぶりの休日。
だからこのブログ作品を手掛けておりました。
夕刻、晩酌を楽しみました。いつもだったらお酒をいただく時間は22:30頃ですので
そんなに多くは飲みません。
ですが昨日も飲み過ぎた訳ではありませんが、日々の疲れが酔いを呼び起こしたんです
ね。それで思わぬ大転倒! その時には10分程そこにうずくまってしまいました。
こんな事例でお分かりのように、結果には何らかの原因があるということ。
だから良い結果を出したいのなら、良き元 (つまり原因) をつくることです。
自分の価値観とは、自分で作り上げるものなのです。
こうして自然界から学ぶことも選択肢の一つですよね。
また古(いにしえ)の人工の構造物から、何らかのヒントも隠されています。
それは、歴史という名の素晴らしき重みがあるからです。
それを今日のブログの最後に飾りましょう。
先程、ドラッグストアへ出向き、湿布と鎮痛剤を購入。ホント、常備薬として持ってい
なきゃなって思いました。
そして近くの湯治場 "ロータスイン" へ。
ここの月桂樹の湯は、果たして私の痛めた脇腹とあばら骨を慰めてくれたでしょう
か…。体重計は私のこの体を47.2㎏と示し、激細になっているとジクナルしてくれまし
た。持病とそして今回の怪我の痛みは、私をどこに向かわせるのでしょう。
皆さまもどうか、予想だにしなかった災難に巡り会わないようにくれぐれもご注意を
そして今なお続くコロナ禍に遭遇しないように、安全ご無事をお祈りしています。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪
またまた新語が出現! 『ワーケーション』これは何だかお分かりになりますでしょうか? 291回目の更新です。
前首相の切り出した「働き方改革」これがこのような形にもなるとは誰が想像したのでしょう。人も世の中もこうした運命を辿っているのでしょうか。
ワーケーションとは、ワーキング(働く)とバケーション(休暇)を合わせた造語です。
このようなユニークな言葉(熟語)はいついかなる世に於いても出現するものですね。
ファッションの流行のように、言葉は常に変化していきます。
生まれては消え、また新しい言葉が生まれる。
特に若い世代はそんな風潮が歴史上常に浮上しては消えていくのもあります。
特に私はベストセラーという言葉を嫌います。その時のベストの売れ上げではなくて
ロングセラー、つまり長い息のかかったもの、それは「信頼」から成し得る技であると
常々考えております。
2週間前、福島を代表する火山、安達太良山 (あだたらやま) の学習を兼ねて火山記念
館を訪れました。そのあとすぐにその山に行ってみたかったのですが、あいにくの悪天
候のため断念。
そして4日前の水曜日に遂に…!
今日のテーマは
「心の躍動」
地中の叫びは、火山により知る
そのことは「自分の心の叫び」にも似て、アクションを起こす前提には心のどこかに
「それをしてみたい」
「それを作りたい」
「そこに行ってみたい」
など、欲求が芽生えて人は動き出すものです。
心の底から楽しめなければ、その行為はつまらぬものとなってしまうとでしょう。
禁句というのが「リベンジ」という言葉。
これは直訳しますと「復讐」
これではいけません。ですから「再チャレンジ」もしくは「トライ」
言葉の使い方次第で、心のワードは良くも悪くもジャッジしてしまい、そのように行動
してしまいます。
ですからどうせなら良き方向へと向かったほうがよいかと。
猪苗代町から福島市へと通ずる国道を外れて、いよいよ安達太良山中腹まで。
頂上は猛毒な火山ガスのため登山はしません。
もちろん山ガールのような恰好ではありませんから当然といえば当然。
私は登山は苦手でして、だから途中のエリアから皆さまにお伝えしましょう。
心の躍動は、私のポーズとして表れます。
普段は眠っている本来の心の躍動。
日々の仕事や家事に追われて、自分がしたくてもなかなかできない現実があります。
またそれを言い訳にしたりしますと、ご自身が納得してしまうというスパイラルに陥っ
てしまい、
「まあ、次の日があるから今日はいいや」
これが積み重なっていきますと、あっという間に年月が経ってしまい、良い機会を逃し
てしまうことになりかねません。これはとても残念なことですね。
私の相棒、愛車はいつも安全に旅をしてくれています。(もうボロボロです)
それは愛情をいっぱい注いでいるから。だから、もっと綺麗にしてあげたいな。
安達太良山の中腹には伝統のスキー場があります。
そこから更に上に行きますと白糸の滝や、登山道の駐車場が3㌔先にあるのですが、ボ
コボコの砂利道。ジムニーのような4駆だったらスムーズでしょうけど、私のクルマが
とっても可愛そう。でも「行きたい」という願いを私の愛車 "ドリーム号" は必死に
登ってくれました。
エンジン音の大きな唸りと、タイヤの空回転、必死にハンドルを握って更に上へと、
私の心の躍動感が、我が愛車に乗り移ったかのように安全且つ、力いっぱい走ってくれ
ました。もう11年付き合っているんですもの、お互いを知り合ってるのかな?
例え機械であってもちゃんと愛情を注ぐべきだって。
愛車"ドリーム号"をねぎらい、ゆったりとした下り坂と牧場地帯を選んだのですね。
そんな中、秋らしい光景が目の中に飛び込んできました。
ここでコーヒーブレイク。秋の日和の中、安達太良山の麓の草原は私の心を充満させて
くれました。心地良い気温と日差しを受けて…
心の躍動は、私の想像する場所へと誘ってくれます。
これは偶然ではないのだと。その時の心の在り方がそれに準じたフィーリングの場へと
案内されているのかもしれません。
この川平メグミという女性。
彼女は伊集院メイよりも活発なリアクションをしています。
私がメグミに変装するときに何故かこうしたポーズが多いのに気付きます。
対するメイという女性。
清楚な雰囲気を漂わせたいと常に心がけています。
こうした二人の対比をもちろん意識している訳ですが、これこそが「心の躍動」の結果
いえます。
躍動感は、奇跡をもたらすものです。
されはモチベーション豊かにそしてポジティブだからこと良い結果が生まれます。
『良因良果』
あなたの心の持ち方次第で、今どうにもなれることを信じて、そして自分に力を与えて
くださいね。
私もこれらの作品集を創るに当たり、もっと綺麗なモデルになろうとか、もっと素敵な
ロケーションを探そうと常に努力しています。
やはり初期の段階のブログよりも格段と成長していることが分かります。
これは自画自賛ではありません。
人というのは楽しいこと、苦しいことも全ては成長の糧になるのです。
まとめ
タイトルで申し上げました『ワーケーション』
私はこの無報酬のブログ、これは自分のライフスタイルの仕事の中の一環として創り続
けております。そして旅先の取材も撮影もその仕事の一つ。
その中に於いてこうして旅先の素晴らしい光景の中で楽しんでいますことは、もしかし
てこの「ワーケーション」の先駆けをしているのかもしれません。
大いに人生を謳歌しましょう。ご自身の豊かな心の毎日のために!
まだまだ終息の気配すらないコロナ。
どうか皆さま、油断せずに安全で安心できる日々をお送りくださいね。
最後に透き通る湖畔の風景でお別れです。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪
GoToトラベルを歓迎する人、しない人。異様な光景、マスク人間たち。毎日町を走っている私には分かります。世の中変わっていることを。節目の290回目の更新です。
物事には常に表と裏あり。その表裏の境にいることを知ること、そして身を置くことは今後の行先を見出すでしょう。
会津若松市の七日町通り。その大正ロマンあふれるストリートに最近修学旅行の小中学
生の団体をよく見かけます。
マスクをしていない児童生徒は皆無。ホント、世の中は変わりました。
楽しいのか、面白くないのかはマスクのせいでその表情からは分かりません。
「目は口より物事を表す」と申しますが、零れるような笑みは最近見なくなりました。
子供に限らず大人の方でも…。
だから私は率先して笑顔をつくります。例えマスクをしても。
今日のテーマは
「表の心と裏の心」
表磐梯と裏磐梯に沿ってこのテーマをお話していきましょう。
「ええい! やってやろうじゃないか」
「いや待てよ…。やっぱり止めておくか」
この両者の心こそが表と裏。
ではとちらが表なのか、裏なのかは判別がつきません。
そのどちらもが表裏に位置づけられるからですね。それをジャッジできるのはあなただ
けです。他の人が付けるものではないのですね。
例えば先週訪れた、磐梯山噴火記念館でのこんな光景も、
その記念館を出て、「どうしようかな…? いつも行っているから今日は寄らなくていい
や」それが私の表の心。でも「ええい、せっかく来たんだからやっぱり行こう」これが
私の裏の心。
その結果が素晴らしい光景に再度巡り会えた訳ですね。裏の心が勝ったのです。
行動を起こすのは表とは限りません。その行動を促す思考中が、表かもしれません。
人間は一日に6万回もの思考を繰り広げています。その瞬時に表裏も同時に起こりま
す。これはスーパーコンピューターやAIでも成し得る技ではないのですから、人間の
能力は遥かに優れたものなんですね。
表磐梯山の景色では、
別の場所の表磐梯での景色では、
「あの人は表では良い行いをしているのにね」
「でも、あんな裏の顔があっただなんて」
ニュース報道を見て、先入観だけでこうして人を非難する。
そういった日常を送ることがいかに多いか。
人のことはどうでもいいのです。ただその人の尊厳を静かに見つめているだけで
荒波が立つことはないのですから。
自然界を見習ってください。確かに子孫を残すために動植物たちにも敵という大きな
試練が待ち受けています。感情を持たなくても自然界のルールは取り決められているの
ですね。裏磐梯のとある光景は私の感受性を刺激してくれました。それが表の心。
安達太良山の噴火についてもっと知りたいと思いました、そして記念館を出てその山に
近づきたかった。でも曇っていてとても山を拝めないなと諦めたからです。
でもそんな裏の心根が、思わぬ秋の気配の場所へと私を誘ってくれたのですね。
そして裏の言葉さえもが、こうして表に出る訳ですから「表裏一体」は事実なのです。
そこが表磐梯のとある場所。
磐梯山を中心として単純に言い換えるならば、南東側が表磐梯。北西側が裏磐梯。
こうして大地ではある程度の境が分かりますが、心の中の表裏には境はありません。
単純に言いますと、Yesか、Noか…。
しかし常にフル回転している人間の脳と心は瞬時にその逆転もしてしまいます。
裏磐梯でも私は、
こういうように自然界のお話が食べ物に変わってしまうなんてことは、結構友人同士や
家族の中でも起きるんじゃないかと思います。
話を戻しますと、表をポジティブ、裏をネガティブと置いてみますと意外と簡単に判別
できますよね。でも、そのどちらもが反転する場合もあるんですね。
裏、いわゆるネガテイブなものからスタートしてしまうことが往々にしてあるもので
す。表か裏か、どちらを優先するかどうかはご自身が考えるものなのです。
またこんな場面もあったりして、
自分を愛し大切にする人は、他の人への思いやりに溢れています。
「ありがとうございます」
「本当にごめんないさい」
この2つの言葉こそ、あなたの心が表裏関係なく、まごころとして伝わります。
まとめ
心の表・心の裏とはあなたご自身だけが知っています。
それをどのように駆使してモチベーション豊かに発するかにかかっています。
それには五感を鍛えることです。そして第六感ともいえる「直観力」
これは非常に有能なものですので、日々その直観力を鍛え上げることです。
すなわち、今後のあなたの人生において素晴らしい結果が訪れることに繋がって
いくのですね。
私たちの暮らしの中で「生と死」は常に表裏一体、紙一重です。
その境にいつもいることを忘れないでくださいね。
死が訪れる直前まで一生懸命に生き続けること。それがあなたに宿る魂の成長に
繋がっていきます。
その魂が成長した段階で、もう二度とこの苦しい人間社会に戻らないと私は信じます。
「無」という時空の中で穏やかにそして永遠に苦痛から解き放たれるに違いありませ
ん。私はその日を待つばかりです。
今日は記念すべき290回目の更新ということで、一日かけて作品群を創り続けてきました。長いブログとなりましたことをお詫びいたします。
まだまだ感染者が増加する日々ですが、どうか読者の皆さまのご安全とご無事を心から
お祈りしています。
今日の最後のブログは裏磐梯の清涼とした空気感をどうぞ。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪
ええ! そんなあ…係りつけの病院に行けない。クラスターだって。来月の受診はお預け…? そんな不安の中の289回目の更新です。
人とウィルスとの戦い。それをコロナ戦争と私は呼びます。それが米中の冷戦に発展。なぜに人は人をいじめるのか…。それも国同士で。
大宇宙から比べれば、この狭い地球は人のいろいろな思いでごちゃごちゃしています。
他の動植物は思考はしません。人間の能力は優れたものでありますから、他の悪口や
喧嘩、そして戦争に発展することなく人々のために、その能力を使ってほしいもの。
そんな気分の中、広々とした場所に私は出向き、自らの心の扉を開きました。
今回のテーマ
「心の中の懐古と高揚感」
ノスタルジーとエキサイティング
この相反する心の在り方は常に我が身に起きているんですね。
「ああすればよかった。こうすれば今の状況は生まれなかったはずだ」
『後悔先にたたず』と申しましょうか、誰も未来を予測して今を行動している訳ではあ
りません。今の動きが結果として「次の瞬間という未来」に反映しています。
過去にはもう二度と戻れません。
戻れるとしたら、胸の内にある心の想いだけなのです。
先週の水曜日、288回目のブログで宣告しましたように新潟県の新津鉄道資料館に行っ
てまいりました。
何か楽しいことは待っているのかなあ…。面白いものと遭遇するのかなあ…。
そんなワクワクした気持ちで出発を迎えますと、本当に楽しい出来事と出くわしたりし
ます。楽しい旅の予兆は既に私の心の中にあるのを、いつも気付きます。
これが「心の高揚~エキサイト」
例えばこのメグミ。
男性だから成し得る技の一つが、赤いスカートをはくこと。おそらくですが今流行のナ
チュラルカラー(緑・茶色など)を好む女性は絶対に身につけないかと…。
こんなビビッドカラーの衣装は、それに見合う楽しい光景に出会います。それも突然に
予期せぬ出来事となって。
エキサイティングの逆のパターンを覗いてみましょう。
それがノスタルジア。すなわち懐かしいものとの出会い。でもそこには懐かしさ以上に
あなたの未来のヒントが隠されています。
今まで経験や体験してきた記憶は、ときに人の心をリセットさせてくれます。
いわば、あなただけの基本に戻る訳なんですね。
ネガティブとは違います。懐古とは原点に戻るための心理状態を指します。
振り返るというのはときに反省のことがあったりします。
自分の弱点は本当は自分で良く知っているはず。ところがそれに蓋をしてしまって逃げ
出したりします。それでは未来は良い結果に繋がりませんよね。
懐古は、自分の魂の原点を取り戻すことに気付く
そんな意識がありますと、おのずと自分自身を大切に扱いますし、自分を愛するように
なっていきます。
ミスをした自分を責めてはいけません。いじめてもいけません。
あなたの魂が嘆くだけです。
そして心と共に体も弱くなってしまいます。
今、時代は変革の時を迎えています。
それは今に始まったことではなく、宇宙誕生の瞬間から続くものですね。
だから「コロナ渦という時流に私は乗ってしまった」という考え方はぜひ捨ててくださ
い。あなたの目の前の現象は偶像でしかありません。
実像に見えるのは、あなた自身の目で見ているからです。
本当の実像は心の中にあります。
そのことを知り、現実社会を客観的かつ感情移入しないことです。
自分というものを情報メディアや吹聴する人たちに惑わされてしまいます。
五感をフルに使いますと、楽しいこととの出会いがあります。
懐古と高揚は、相反するにも関わらず、ご自身の心のモチベーションで劇的な瞬間が
訪れます。
楽しいことを考えましょう。面白いことをやってみましょう。
好きな場所へ出かけましょう。
それがやがて未来に訪れるものの架け橋となります。
今日の水曜日、このブログ作品に時間を費やしました。
したがって変装しての旅支度は計画さえしていませんでしたが、次回は裏磐梯の火山噴
火記念館に行ってみようかと思います。
「安達太良山の噴火」という企画展をしているので、自然科学に大変興味をもっている
私には絶好の機会なのです。
物理学を更に学べるというチャンスを私は見逃しません。
今日の最後のポートレートは、心に爽やかに風が吹く感じの短歌でお別れしましょう。
ここ地元の会津の人に限らず、全世界の人たちの無事な暮らしと安全な日常を心から
お祈りしています。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪
秋雨前線は暑かった夏の終わりを告げます。季節と共に心を入れ替える、そんな288回目の更新です。
「あのですね、自分の身体なのですからねえ、気をつけてくださいよ」主治医の先生の言葉は何を意味するのか…日々の疲労がダイレクトに攻めてきます。
真のスローライフとはなにか?
この問いに、意識レベルの高い読者の皆さまと共に考えるブログです。
先週の水曜日、月一回の病院での診察結果で私の抵抗力はかなり弱っているようで、
実際には体の変化の兆候はみられませんが、「あなたの場合はどんな感染でも重篤に
なるでしょう」薬剤師の方のその言葉に怯えるのは当然至極。
その病院を後にして、遥か50km先の湯治場へ出掛けた私。
何故かと申しますと、身なりが身なりですから男性風呂も女性風呂も入れず、でも
この格好で湯に浸かりたい一心でしたので、混浴を選ぶしかありません。
そのお風呂上りに見た奥会津の景色と、その町の香りは私の心を落ち着かせてくれたの
です。久しぶりに訪れた秘境の里にて、
今日のテーマは
「心の欲求」
夕暮れの降りしきる雨、険しい山々や只見川の光景は、それはもう寂しいやら怖いやら
で、一人旅の孤独感がグッと胸に迫ります。
うつむき加減でいろいろな思いが走馬灯のように巡り回ってきます。
私が女装作家に成り立ての頃は、マニュキュアを塗ったりイヤリングをしたりと、それ
はもう着飾ってお洒落になりたいという欲求があったからです。
もちろん男性ですから、女性には絶対なれないことは分かっていましたので、純女さん
を越すことを目標としていました。
ある程度の年月と経験を積み重ねますと、そうした着飾るという欲求が一段落落ち着き
ます。外見よりも精神面の向上と申しますか、違った心の欲求が訪れてくるのですね。
心の欲求というものは物欲ではありません。
いかに幸せであるのかの一言に尽きます。
では幸せとはなにか…?
それは、安心と安全でいられることです。
それは、常に平穏でいられることです。
今、あなたの目の前の数々の物品はあなたの暮らしの生きるためのツールに過ぎませ
ん。人間はお金も何も持っていかないでこの世を去ります。
ですが生きているということは、そうしたお金や食べ物やいろいろな物を必要とするか
らですね。
「心の欲求」というもの、それ自身が本当の自分の姿を見つけ出すものなのです。
私は静岡を去る時にこれから暮らしていける物だけを運びました。
全ての物を処分しました。
シンプルな暮らしは私の心を豊かにしてくれています。
最低限度の暮らしをしているはずが、やはり部屋を見渡すと物が少し増えているかなっ
て。これでは本末転倒です。不必要な物を処分してすっきりとした暮らしと心でいたい
ものです。
そして同じようなことが言えます。
コーヒーHowTo本を5冊出版しています。やはり今もってコーヒーは大好きですが
過去のこだわりがなくなっているのを感じます。
少年の頃から、鉄道のレールに憧れを持っていた私。
ここ会津では3本の路線があります。
そのどれもが違った味付けがあり、ここに優劣の差はありません。
優劣をつけるということは、自分に何らかのコンプレックスやプレッシャーを自らが
押し付けているかもしれません。
この世に優れる、劣るというものは存在しません。
そう決めつけているのは自分の狭き心の領域でしかないのですね。
全てはバランスを保っています。
それは今後のブログで考察していきましょう。
理科という授業の面白いことは
「なぜ、こうなるんだろう? どうしてなの?」という疑問詞があるからですね。
特に物理学は自然界のありのままを教えてくれます。
ただ人間の想像以上に、自然現象は解明されていないのも事実。
新型コロナウィルスもしかり。理科でいうところの "生物学" でもいうのでしょう
か、物理学そして薬剤を扱う "化学" にも人間は今挑戦しています。
共栄・共存は全ての動植物の本能的なもの中にあります。すなわち人間でいえば
「心の欲求」そのものなのです。
久しぶりに訪れた奥会津。
しかし着いた時間は、夜のとばりを迎えようとしている夕暮れでした。
その寂しさと同時に雨と共に流れ去る我が心の醜さを感じながらも、清らかな心となっ
て我が家へ帰りました。
これも奥会津の持つパワーをいただいたのかもしれませんね。
今日のブログの最後のポートレートは、今年の夏を惜しむ新潟の海辺でお別れです。
夏はやはり海が似合う…。
富士山麓で生まれ育った私は、海に向かう鉄道の旅に夢馳せていました。
どうかみなさま、今日もご無事、安全でいてくださいね。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪
8月が去りました。時の総理大臣もしかり。でも去ってくれないものが…厄介なことです。287回目の更新です。
8/26の新潟の海。涼しいだろうなと思って出掛けた場所、胎内市は新潟一番の暑さ! うーん…旅の選択を間違えたなあ
真のスローライフとはなにか?
この問いに、意識レベルの高い読者の皆さまと共に考えるブログです。
"暑さ、喉元過ぎれば何とやら" なんてことはまだ実感できないのでして「あづ~い」
とまあ、こんな季節に更にマスクを付けるなんて、"ああ、苦しいー"
だから誰もいないスカっとした海原で、笑顔いっぱいになれるんです。
毎週水曜日は私はメイ・メグミに変装する日です。
ですが今日はそれをせずに、また小さな旅さえもしませんでした。
もちろんこのブログ作品で時間を費やしますし、今は心身共に疲れ切っています。
日々の過酷な労働。でもこれは自分が選択したものですから絶対に愚痴を言いません。
今日も仕事がなく、日々困窮している人々が大勢いらっしゃるかと存じます。
私も過去、そんな時がしばらく続きました。
だから今の自分には、仕事があるということを感謝せねばなりません。
今日のテーマは「誰もが経験する "負"の出来事」
自分が望まなくても、その出来事はやってきます。
「安泰だ、安心だ」という気持ちは瞬時に崩れます。
自分の運命に沿うようにやってくる経験。嫌であろうとも、そこから逃れることは
できません。
時には疲れ切って何もしたくない。そういうことは誰にでもありますよね。
私たちは地球という星で同じ空気を吸い、一瞬そして一緒に生きています。
これは紛れもない真実。
ですが個々の人生はまったく違います。同じ人は誰一人いません。
その人、その人に与えたられた運命は、それに似合う経験がやってきます。
それを受け入れなければなりません。
上のストーリーのように、ネガティブな経験を積み重ねてしまいますと徐々に心が
疲れてしまいます。
そうなってしまったら楽しいことや違うことを考え行動してみましょう。
やがて訪れてくる面白いものと遭遇したり、心が晴れやかになる経験がやってくるので
すね。人の心も決して同じではありません。
一日の思考はこうしてグルグルと回転しています。その8割はネガティブなことだらけ
と見抜いてくださいね。
男としての自分は疲れ切った姿で、ブログでは誰にも素顔を見せたことがありません。
いつもサングラスと帽子。まあそれが私のキャラクターと定着してしまいましたが、
今の新しい仕事のポジションでは、徐々に男としての自信を取り戻しつつあります。
メイやメグミに扮するのは、現実社会を忘れる、いわば "非現実" を楽しむというので
はありません。
また趣味の世界として楽しんでいるのでもありません。
こうして堂々と昼間の自分をオープンにさらけ出すことができるのも、私の自信の
表れかと…。心の奥底にある "女性への憧れ"が今になって花咲いているって感じ。
但し自信過剰は禁物。十分に自重することに気を付けています。
2020年の春からこの夏にかけて、世界中の人間はネガティブな経験をしています。
真夏の猛暑の中でもマスク? どこもかしこもマスク人間だらけ…かく言う私もそう。
新しい暮らし方ってなに?
感情表現の分からぬ表情は、私たちに一体何を残すのでしょう。
幸いにして私は、こうしたビジュアルな画像と文章を通してメッセージを皆様方にお伝
えすることができます。ですがみんなが同じようにできないことを私は知っています。
それぞれが知恵を絞って今を生き抜く。
"変化"に順応した能力を備える絶好の機会かもしれません。
"負の経験"
それはやがて来るポジティブな経験とすり替わります。
その日をじっと待つこと、耐え抜くことです。
そうすればあなたの心は平穏に満ちることでしょう。
この思いも寄らぬ出来事は、今に始まったものではありません。
私たちが生まれる前の長い長い歴史の中にも多くの経験があった訳ですね。
そして過去から現在、そして未来も "経験" はやって来ます。
どうかそのことを素直に受け入れてください。
あなたの幸せのために。
今日の最後のブログは、そうした願いをもつ私の姿でお別れです。
来週の水曜日は、元気になってメイの姿で旅に行きましょう!
"望み"
その意味の深さと重みを感じて…。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪
いろんなものを与えられてきました。だから私は "愛"の心でその恩返しをします。これからも…。 286回目の更新です。
盆明けは涼しくなる。ススキの中に赤とんぼやオニヤンマが飛び交っています。やがてはコオロギやスズムシたちがヒーローの秋がやってきます。
疲弊した心根は良くありません。
そのネガティブな心の隙間にネガティブなものが侵入してきます。
心と体は連動しています。だから "感染" も知らず知らずの内に襲ってくるかも。
思いっきり楽しみましょう!
笑顔の毎日を…。
今日のテーマは「さよなら、負の心よ」
過去私は、多くの方々の応援・支援をいただきました。
体を壊してからは仕事にも就けず、困窮する日々が続きました。
自治体や福祉団体からの食品の援助をいただいたこともあります。明日の食事さえ
なかった…。白米の援助は涙が出るほど嬉しかった。
ほんのわずかな一合のご飯が炊きあがった瞬間に、本当に涙が零れ落ちた。
こうして徐々に体力を回復させ今に至っています。
「食」がなければ心身共に弱っていくことを経験しました。
今私は、こうしてブログを通し、「人の生きる道」「スローライフとは何か」を
発信しています。
また新事業では一日に何十人もの人たちと会います。
今だからこそ、苦しかったあの頃に、助けてくださったことへのご恩返しをしていま
す。感謝そのもの、それ以外はございません。
数か月前は私、少しふっくらとしていました。
それはその時のブログ掲載の写真でも分かります。
今は多忙且つ大変きつい仕事で、とうとう体重が50㎏を切ってしまいました。
病院ではそのことを大変心配しています。
会津若松市でコロナ感染者が出ました。
私の仕事のエリアはその会津若松市の中心街。
あらゆる病気に勝てないこの体に、もしコロナが移ったとしたら…。
今年の夏…酷暑の夏。
そして秋から訪れてくるであろうインフルエンザウィルス。
コロナとのダブルバンチは私たちの暮らしがどうなっていくのでしょうか。
そんなネガティブなことばかり考えてはなりません。
ならば、それを跳ね返すような山をも動かす強い信念と行動力が良き変化をもたらして
くれるのではないかと…。
各地でイベントの中止若しくは縮小。
昨日喜多方で見かけた光景は、市民プール。
ライフセーバーが5人ほどいたのですが、プールで泳ぐ子供は3人しかいませんでした。
寂しい2020年の夏。
経済が私生活が不安定な状況に世界中が陥っています。
"幸福"が不幸に逆転しないように、一人一人が前を向いて歩まなければなりません。
幸福は「仕合せ」と書き換えることができます。
仕えて合わせていく
もうお分かりかと思いますが、人は絶対に一人だけでは生きられないのですね。
お互いに助け合い励まし合って、この困難な時代を乗り越えるのです。
その乗り越えた壁の向こうに "平穏" が待っているのですね。
深層真理は心の奥にあります。
神は心の中にいます。決して神社仏閣ではなく心の中にあなただけの神殿があることに
気付いてください。
そして 座禅に似た "瞑想" を施してください。
心が空っぽ、すなわち無心になることは非常に難しい。だって邪念ばかり浮かびますか
ら…。ですが無の境地に入り込んでいきますと、ふと今まで気づかなかった自分の本当
の姿が見えます。
それは悲しむ自分ではありません。今の時代に生まれてきた奇跡と運命を悟ることで
す。それは難しいものではありません。ただネガティブさがあった場合にはそこに到
達することはできません。
穏やかな心は、穏やかな場所へと我が身を移してくれます。
調和・バランスというものは一生の中で常に自分を調整してくれます。
どちらが重い・軽いという天秤のように人生はそうなっていません。
全ては宇宙空間のバランスによって、人間も成り立っているのです。
私は特定の人とのお付き合いはありません。
ですが人間ですもの、恋愛感情は未だに持ち合わせてはいるのですが…
ネガティブなものよ、さよならしよね
この思いこそ、明日のあなたが変わっていきます。
酷暑が続きます。
暑い夏なのにマスクを付けて辛いですよね。
だから今日の最後のポートレートは、まるで天然のクーラーの中にいるような光景で
お別れです。
どうか皆さま、十分にその命を守ってくださいね。
心からお祈りしております。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪