秋雨前線は暑かった夏の終わりを告げます。季節と共に心を入れ替える、そんな288回目の更新です。
「あのですね、自分の身体なのですからねえ、気をつけてくださいよ」主治医の先生の言葉は何を意味するのか…日々の疲労がダイレクトに攻めてきます。
真のスローライフとはなにか?
この問いに、意識レベルの高い読者の皆さまと共に考えるブログです。
先週の水曜日、月一回の病院での診察結果で私の抵抗力はかなり弱っているようで、
実際には体の変化の兆候はみられませんが、「あなたの場合はどんな感染でも重篤に
なるでしょう」薬剤師の方のその言葉に怯えるのは当然至極。
その病院を後にして、遥か50km先の湯治場へ出掛けた私。
何故かと申しますと、身なりが身なりですから男性風呂も女性風呂も入れず、でも
この格好で湯に浸かりたい一心でしたので、混浴を選ぶしかありません。
そのお風呂上りに見た奥会津の景色と、その町の香りは私の心を落ち着かせてくれたの
です。久しぶりに訪れた秘境の里にて、
今日のテーマは
「心の欲求」
夕暮れの降りしきる雨、険しい山々や只見川の光景は、それはもう寂しいやら怖いやら
で、一人旅の孤独感がグッと胸に迫ります。
うつむき加減でいろいろな思いが走馬灯のように巡り回ってきます。
私が女装作家に成り立ての頃は、マニュキュアを塗ったりイヤリングをしたりと、それ
はもう着飾ってお洒落になりたいという欲求があったからです。
もちろん男性ですから、女性には絶対なれないことは分かっていましたので、純女さん
を越すことを目標としていました。
ある程度の年月と経験を積み重ねますと、そうした着飾るという欲求が一段落落ち着き
ます。外見よりも精神面の向上と申しますか、違った心の欲求が訪れてくるのですね。
心の欲求というものは物欲ではありません。
いかに幸せであるのかの一言に尽きます。
では幸せとはなにか…?
それは、安心と安全でいられることです。
それは、常に平穏でいられることです。
今、あなたの目の前の数々の物品はあなたの暮らしの生きるためのツールに過ぎませ
ん。人間はお金も何も持っていかないでこの世を去ります。
ですが生きているということは、そうしたお金や食べ物やいろいろな物を必要とするか
らですね。
「心の欲求」というもの、それ自身が本当の自分の姿を見つけ出すものなのです。
私は静岡を去る時にこれから暮らしていける物だけを運びました。
全ての物を処分しました。
シンプルな暮らしは私の心を豊かにしてくれています。
最低限度の暮らしをしているはずが、やはり部屋を見渡すと物が少し増えているかなっ
て。これでは本末転倒です。不必要な物を処分してすっきりとした暮らしと心でいたい
ものです。
そして同じようなことが言えます。
コーヒーHowTo本を5冊出版しています。やはり今もってコーヒーは大好きですが
過去のこだわりがなくなっているのを感じます。
少年の頃から、鉄道のレールに憧れを持っていた私。
ここ会津では3本の路線があります。
そのどれもが違った味付けがあり、ここに優劣の差はありません。
優劣をつけるということは、自分に何らかのコンプレックスやプレッシャーを自らが
押し付けているかもしれません。
この世に優れる、劣るというものは存在しません。
そう決めつけているのは自分の狭き心の領域でしかないのですね。
全てはバランスを保っています。
それは今後のブログで考察していきましょう。
理科という授業の面白いことは
「なぜ、こうなるんだろう? どうしてなの?」という疑問詞があるからですね。
特に物理学は自然界のありのままを教えてくれます。
ただ人間の想像以上に、自然現象は解明されていないのも事実。
新型コロナウィルスもしかり。理科でいうところの "生物学" でもいうのでしょう
か、物理学そして薬剤を扱う "化学" にも人間は今挑戦しています。
共栄・共存は全ての動植物の本能的なもの中にあります。すなわち人間でいえば
「心の欲求」そのものなのです。
久しぶりに訪れた奥会津。
しかし着いた時間は、夜のとばりを迎えようとしている夕暮れでした。
その寂しさと同時に雨と共に流れ去る我が心の醜さを感じながらも、清らかな心となっ
て我が家へ帰りました。
これも奥会津の持つパワーをいただいたのかもしれませんね。
今日のブログの最後のポートレートは、今年の夏を惜しむ新潟の海辺でお別れです。
夏はやはり海が似合う…。
富士山麓で生まれ育った私は、海に向かう鉄道の旅に夢馳せていました。
どうかみなさま、今日もご無事、安全でいてくださいね。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪