88回目の更新です。今回は「命を繋ぐ」について考えてみました。
尊き命は、その大きさも年齢も関係ありません。一つの命を必死に守っている方が、この世にはたくさんいらっしゃいます。
私に、ある方からのお便りが届きました。
「重い心臓病を抱え、そして別の病が発覚した我が子に、私は精一杯の明るい笑顔で
接しています」
このお話を拝読して、私はとても深い感銘を受けました。
本当はやるせなく、そして辛い毎日が続いているのに、こうして気丈なまでの精神力
と、明るさと微笑みに満ち溢れた母の愛を、その子に投げかけておられるのですね。
この世は『無常』です。
誰もが病気にかかることは望んでいません。
そして苦しみや不安を、誰もが取り除こうと必死になって闘っています。
あともう少しで穏やかになるなって思っている矢先に、次の難題が降りかかってきま
す。人生とはそうした『苦』の連続です。仏陀は既にそれを提唱していました。
キリストは『苦しみは愛で包めよ、愛の力で苦しみを解放せよ』と説いています。
しかし現実に直面した時、人はそれを受け入れることに拒否します。
そして何の解決策もないままに、その苦しみをずっと持ち続けてしまう時もあります。
お便りをくださいましたお母様は、そうした苦しみを噛み締めながらも、グッと堪えて
ポジティブな選択をしていらっしゃいます。
その明るさこそが、奇跡を生んでいくこととなるでしょう。
私は遠く離れて暮らしている、このご家族のみなさま方に近くお会いさせていただきま
す。小学校を入学する間近のこの子に、いっぱいのお話をしに行きます。
私は中学校を退職してから、持病が悪化し体に異変が生じました。
一時期、仕事の制限を主治医の先生から、ドクターストップの声がかかったのです。
だからこうして作家の道を選びました。
ただ、今がこうして元気に暮らしていることは、私に関わってくださる方々からの、
大いなる愛情を受けているおかげでございます。
ここに私は心からの感謝を申し上げます。
私は自分で、<私の命はそう長くはないな>と思いながらも、決してそれをネガティブに
変換してはいません。
もう十分生きてきて、誰よりもいろいろな経験を積んできたのですから、大抵のことに
対して臆病にはなっていません。
死をも恐れないと言ったら、それはやはり怖いものです。
でも、こうしたいつも前向きの姿勢は、私のモチベーションを上げています。
コツコツと蓄積してきたものが、こうして文章となり、やがては新しい出会いもやって
きました。
最初から期待を持ってはいけません。
期待し過ぎると、失望感を生むだけですので、ただひたすらに今を生きること、ただ
それだけでいいのです。
そして決して深い感情移入はしないことですね。
まごころで、そして誠実に謙虚にその様子を見守る、若しくは見届けることが肝要で
す。人は純粋な愛を与え、そして与えられた時に素晴らしい心の扉が開かれるのです。
信念はもち続けながらも、何も期待せずに日々を重ねますと時には、目の前に大きな
喜びが待ち受けていることがあります。
それが次のようなことです。
たった一人での孤独な執筆は、このようにして一人、また一人と私に共感してくださる
方々との出会いという素晴らしいことが身の回りに起きつつあります。
メイというたった一人だけの写真は、他の人も交えながら賑やかになってきました。
自分の行いや考え方に同調する人と必ず出会えるということ、そしてその逆の人とは
絶対に出会うことはないという、常にそういう自分磨きをしたいものですね。
冒頭に申し上げました、そのお子様がこれからも健やかに生きていかれることを
心からお祈りしております。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪