152回目の更新です。今日は郡山市で撮影。久しぶりの都会は多分人が大勢いることでしょう。
時代の繁栄と衰退は既に人類は古来より繰り返している。いつも平凡だと嘆いてはなりません。我が心と体も常に変わっていくことを噛みしめましょう。
作家というものは、インスピレーション(第一印象)や直観力、そして五感をフルに使う
という日頃の鍛錬がとても重要です。
言葉というものは、口に出した瞬間や文章にした瞬間に新しい世界を作ります。
だからこそ人に訴える力とは、そうした日々の思考の連続をいかに記憶にとどめてお
くことが大切。そして記憶の引き出しを開けて瞬時に文章に変換するという技を持ち合
わせなければなりません。
さて今日から、奥会津の只見町の紀行文のスタートです。
この町も非常に興味深く、そして私にいろいろなメッセージを投げかけてくれました。
「会津紀行」 第13話 ~その①~
大水害という悲哀な物語は、今人々の心と手によって復活物語へと変わっていく
遡ること、今から8年前の2011年7月、只見川は大水害を起こした。
その原因はダムの発電用ダムの底に溜まった土砂を取り除かなかったことである。
それによって水位が上昇。只見川流域には10のダムがあるが、筆頭の巨大ダム「田子倉
ダム」の放流を躊躇していたが、やがて放流した後次々と水が只見川流域のを家並みを
襲ったのである。
それは隣町の「金山町」も大被害を受け、104棟の家屋の倒壊とJR只見線の鉄橋もそ
の水害を被り、今もなおその傷跡を残しているのだ。
金山町から只見町を繋ぐ只見線の線路敷きは、草がぼうぼうと生え見るも無残な光景で
ここに一抹の寂しさを感じる。
「栄枯盛衰」とはこういうことなのだろうか…。
この只見線を廃線にすべきか、それても存続させるべきかという議論が日夜あったと
聞いている。
そして決定したのが、存続であった。
会津若松市から新潟県を結ぶ幹線の鉄道として、そして美しき只見川と並行するこの鉄
道ファンにとっては吉報となったのである。
奥会津の秘境の里、只見町。
そこには大自然に対する人々の祈りと感謝の心が根付いている。
只見線の復活は、そうした町の人の悲願が叶ったに違いないと私は思っている。
続く…
福島県に限らず、世界の至る所で大きな災害は起きます。
その被害を被りながらも人々は、古来から復活・復帰を繰り返してきました。
それが人間の英知と努力です。
ただ忘れてはならないのは、「感謝の心」
こうして全ての万物が生かされていることに、心の底から感謝の意を持つことです。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪