155回目の更新となりました。実は私の身の回りに大変ことが起きようとしています。多忙ゆえに更新が遅れました。
えっ! 家庭教師の生徒が7人になるの。うーん…頑張るしかないな。感謝でいっぱいの私です。
このところの暑さは全国と同様に、会津盆地も酷暑となりました。
私のブログでは四季折々の会津を紹介していますが、こうして真夏の強い日差しの中の
この地域もまたいいものです。
しかしウィッグは相当熱く、また毛が痛むというアクシデントもありますが、作品づく
りのために、とても頑張っているというところでしょうか。
話しは変わりまして、新しく6人の生徒のオファが一気にきました。
生徒さんは今は一人だけですが、今週3人受け持つことが決定。
今日も新規の授業開始。
そして昨夜、更に3人の授業の依頼が…。再びその授業で南会津町に行くかもしれ
ません。本当にこんな私に依頼してくださり、とても嬉しい限りです。
さて会津紀行の続きをいたしましょう。
今回で「只見町」の紀行文を一旦終了します。まだまだ書き綴りたいことがありますが
続きは出版される著書をお読みくださいね。
「会津紀行」 第13話 ~その③~
大水害という悲哀な物語は、今人々の心と手によって復活物語へと変わっていく
ここ只見町は、南に桧枝岐村、東南は南会津町と昭和村、そして西は新潟県へと繋がる
要(かなめ)の町である。
田子倉ダムでできた田子倉湖はとても広い面積をもち、周囲の山々をドラマチックにそ
の湖面に鏡のように映し出している。
春には春の、夏には夏のというように四季の風景が刻々と変わっていく。
言うなれば広々とした平原の中の猪苗代湖に対して、険しい山々に囲まれた田子倉湖と
例えることができよう。
会津はそうした対照的な平地と山々が織りなす場所。同じ景色はまったくないのであ
る。そこに私は計り知れない魅力を感じている。
さて国道252号線は、只見町のはずれの田子倉ダムから一気に難所の峠越えと化す。
通称「六十里越 雪わり街道」言い、新潟までのこのルートは数多くのスノーシェッドを
くぐるワイディグロードである。
実際には24㎞ほどの峠越えなのだが、あまりにも急坂や曲がりくねった道で60里(1里
は4㎞と換算して240㎞)と言ってもいいくらいであるからだ。
また日本の中期時代は1里は500mであったというから、500×60=30000m (30㎞)という
説もあるのだ。
いずれにせよ、ここ只見町は奥会津の中でも最も深い秘境の郷として、そして尾瀬や新
潟へと通じるロマンの郷としての存在感は相当なものであることは間違いない。
こうしてアルプスのような山々がそびえ立っている中にも、ここにいる人々の暮らし
の英知と努力、そして自然と共に融合しながら暮らしていることに脱帽するのだ。
第13話 おわり
今日の最後に、いつものようにポートレートをご紹介しましょう。
今回はメイではなくメグミの登場です。珍しい雨のシーンです。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪