166回目の更新です。昨夜の強い雨で今朝は清涼な時を迎えています。2時に起きて今日のブログの題材を作成。その後寝てしまいましたが、夢の中でも執筆していました。
うつら、うつらと夢枕の中で外の人の声が聞こえていました。今日一日の人々の暮らしがまた始まろうとしています。
ありふれた日常生活だ…。
そう思ってはなりません。その平凡さこそ安全であるということでもあり、また
この次の瞬間、何が起きるのだろうという心の躍動感も持ち合わせることなんですね。
一日人は6万回もの思考をします。
そのうち約80%がネガティブなことに見舞われる思考回路だということ。
ならば残り20%も含めて、ポジティブなことをかんがえるという変換をすることでしょ
うね。そうした根底にあるものを変えることによって、貴方の未来は書き換えられてい
きます。
さて会津紀行もクライマックスに近づきつつありまして、今回からは「磐梯町」へと
物語は進んでいきます。この紀行文で最後の町のご紹介となりました。
「会津紀行」 第17話 ~その①~
この町は大手玩具メーカーと深い絆があった。それは親友と呼べるほどに手を取り合っていた
磐梯町(ばんだいまち)…。
会津地方の市町村で一番小さい面積の町である。人口は4000人を切ってしまった。
だがそのエリアは会津磐梯山へと行くルートも然ることながら、会津若松市、喜多方
市、そして磐越自動車道を介して郡山、新潟方面にも通じている。
その利点を生かし、工業の町として精密機械を作成するには素晴らしい気候がそこには
ある。
磐梯町は磐梯山の麓にあり、古くから山の信仰、いわば山岳信仰の要の場所でもある。
最澄や空海といった大僧侶たちと論争を交わした僧侶、徳一がこの地を選んで寺を建て
た歴史は今も健在している。
町の人々の信仰心は熱く、僧侶の教えを守りながら磐梯山の恩恵に感謝する日々を送っ
ているのである。
磐梯山を囲む町村は、ここ磐梯町と猪苗代町、そして北塩原村である。
そしてその輪を取り囲むかのように、喜多方市、会津若松市、郡山市という中核都市が
隣接している。
磐梯町の小さなエリアは実は、そのように比較的大きな都市に守られているかのよう
だ。山に対する熱き信仰は、こうして「防御それている」といった現実の姿となった
と言っても過言ではないような気がしてならない。
続く…
こうして会津の各地を執筆していますと、私自身の成長と申しますか、大変な知識を
いただいていることに気付きます。
そしてやはり足を運ぶことがいかに大切であるか、その場の雰囲気を直感的に感じると
いう心の鍛錬も学習しているのです。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪