こんな時代は私の過去にあったのだろうか…いいや、なかったな。この世の変化とは長きに亘る歴史の過程に過ぎないのです。267回目の更新です。
人々が消えていく…でも本当に消えてしまうのでない。まるでフィクションの映画のワンシーンのような日々の連続…でも必ず終わりは来る
GWも始まり、例年ならば他県ナンバーのクルマが近所の道の駅に一同に集っていた
り、久々の再会のために帰省の方々で賑わう我が町。
道の駅はトイレと駐車以外はレストランも休業。町の最大の公園も、温泉などの公共施
設も一切使えません。 (全国がそうなのでしょうね)
私の目には、3人の青年がその公園のグランドでランニングをしている光景だけが映っ
ていました。
我が町の8割は森林です。その会津の森はこんな時でも私を迎えてくれました。
今日のテーマは「耐えることができる心」について掘り下げていきましょう。
誰しもが経験している我慢するというときがありますね。
幼少の頃、物心がついてくると親に好きな商品をねだったりします。しかしそれが手に
入らないと泣き喚いたりする光景を見掛けますが、こうして人は我慢するということを
この年代辺りから学んでいきます。
大人になってきますと、いわゆる「大人買い」みたいな大胆なショッピングができたり
して、優越感ですとか、満悦感いっぱいの表情を浮かべます。
ところがそれが満たされなくなったとき、心の中に不満が生じそれがやがて「不平」と
して言葉を発してしまいます。
その大きな規模となってしまったのが、今回ニューヨークで起きたデモでした。
「俺たちの仕事を返してくれ! 元に戻してくれ。さもないと暮らしは成りたたくなる」
沈着冷静な日本人の気質は感情表現豊かなアメリカと違い、今のところ様子を観察し
ていますが、このまま経済状況が悪化すれば、日本のみならず諸外国を含め世界中で
暴徒化することは否めません。
だからそうならないように、個人一人一人の「忍耐の心」が問われるのです。
全国に警戒宣言が出され、私は小さな旅を自粛しております。
今日のブログに載せている写真はトップの写真以外、警戒宣言が発令されたそれ以前
のものです。私の手元には何千枚もの撮り溜めた写真があります。
だからこうしてそれを活用しながら新しいショートストーリーを創るということは、例
え今、どこに行かなくても心の旅ができます。
私たちは全ての自由を束縛されたのではありません。
ただ今の風潮は、「他の人と共に一緒に動きを止めて…」なんですね。
大切な人の命を守るため
常に社会に訴えてるこの言葉の説得力と重さに、私は感慨深く感じ入っています。
我慢強い心は、自分自身の心が強くなっていくのを感じていきます。
我慢強い心は、自己中心から離れていき、他の人や物事に目を配ることができます
そして柔らかな笑顔を心の底から表現することができてきます。
我慢=閉塞 ではありません。 我慢→希望 へと繋がっていきます。
身近にあるものへの関心。
こういうときだからこそ、身の回りの物事の観察もまた絶好の機会かもしれません。
普段だったら絶対に気付かなかった、あれもこれも…。
地元の町の良いところを再発見するなんてことも、良い機会を与えられたかも…
また近隣で気になっていたあの場所を更に探索するにも良い機会ですね。
このように今の暮らし方が制限され我慢の日々が続いたとしても、思うことは無限大に
あります。ですから考え方や見方を別の明るいものに変えるだけで、私たちの心の広さ
に繋がっていきます。 (思考は制限されません。自由気ままに、あるがままに)
「今回のことは、私たちの一生の中の数ある内の、一つの貴重な出来事だったんだね」
人生を長いスパンで見てみましょう。
私たちの生きる道は上り坂・下り坂の連続です。それをしっかりと受け入れることです
我慢や忍耐を越えたとき、あなたの心に安心と平穏が訪れます。
必ず物事には終わりを告げるときがやってきます。
その日まで耐え抜くという、強い自分の心が必要とされているのです。
今日の最後はそれにちなんで、このポートレートでお別れです。
それでは次の更新まで ごきげんよう メイ♪